ここには2005年4月から2009年3月までの投稿が集積されています。
今日から3連休。大学も芸術祭週間となり、久しぶりに何日か深呼吸のできる日が続く。
これが終わると大学院から始まる入試のスケジュールがスタートし、また卒業、修了に向けた指導も本格化してくる。
さらには研究所のオペラプロジェクト部門も今年のまとめの演奏会を12月12日に控えて忙しくなる。
夏までわりと頑張っていたゴルフも、紅葉と共にスコアは下降し、やがてラウンドも減ってくる。
いつものことだが、近年はゴルフ以外での体調保持の機会がなくなってきたため、スコア云々ではなく、なんとか日曜日ででもラウンドする機会を作らないととは思っている。
男声合唱団「マトゥーリ」も夏の合宿を経て、今年も12月17日の演奏会に向けて活動しているが、今ひとつ集中できずに日だけが過ぎて行く。来年は海外への演奏旅行を実現すべく話し合っているが、こちらも世界的な金融危機の中で、なかなか2歩、3歩とは前に進んでいかない。
今はじっと我慢の時か…とも思うが、何もせずに我慢では実質何もしないことなので、動きたいのではあるが難しい。
この休みで、心身共にリフレッシュできて、また頭が回転し始めるとなにか動き出せそうではある。というわけで山小屋にもゴルフにも行かず、家でひたすら何かを待っている。
今日は朝から晴れ上がって五月晴れ、やっと連休らしい雰囲気になってきた。
朝の散歩に出るとすぐ近くを走る中央高速高架の下り線のフェンスに沿って車やバスの上半分だけがほとんど止まった状態で都心方向まで連なって見える。
今年は春先に仕事の方が忙しくなったせいで、計画も立てられずに連休に突入してしまった。
4月の中旬には毎年恒例のゴルフ、パブリック選手権の予選に出るべくエントリーしていたのだが、仕事のせいで前日にドタキャンしてしまった。
本来ならその時に仲間と一緒に山小屋に泊まって騒いで一挙に活動的になって連休から夏へ飛びこむのだが、今年は今日のように天気が晴れ渡ってもまだぐずぐず家で書類作りなどしている。
来週は母の日だし八ヶ岳の兄貴夫婦にも会いたいし、なんとかして飛び出そうと思っていたら昨日の夕方、勝沼の従兄弟夫婦から大きな荷物が届いた。
勝沼の葡萄郷を見下ろす絶景の場所で昔から葡萄園をやっているのだが、去年久しぶりに遊びに行って旧交を温め、秋にはそこの長男の結婚式に招待されて歓待を受けた。
それから季節が変わると果物や野菜を送ってくれるようになったのだが、今回は開けてびっくり、ふたつの箱は取れたてのキウイフルーツで一杯。
市場に出せるような大玉のきれいなものともぎたてでヘタや葉の付いた不揃いなキウイがこれでもかと沢山入っている。これで当分我が家のビタミンCは大丈夫。さっそく一つかじってみると、新鮮なスッパさが口一杯に広がり、山の空気や土の香りが一挙に浮かびあがって来た。
もう一つの重たい大きな箱には一升瓶のワインが何本も詰まっていた。昨年夏に仲間たちと押し寄せたときに飲ませてもらった勝沼の白の地ワインだ。
いわゆる我々が有難がって栓を抜く高級なワインと違って、特別美味しいというわけでもなく、香りが良いというのでもないのだが、ワイワイやりながらダラダラと飲むのにはちょうど良い、軽いテーブルワインである。あの時みんなで昼間から騒いで酔っ払って「これ美味しいよね、最高!」などと大声でしゃべっていたのを聞いていて送ってくれたようだ。
しかしこの一升瓶を何本も女房と二人では空け切れない。2本位取って、あとは去年の仲間たちにさっそく送ってあげようと思う。
娘二人は例によって連休に親達などにはつき合ってくれないので、今やっている書類作りに目鼻が付いたら女房と二人、窓から高速の混み具合を見計らいながら八ヶ岳に繰り出す。
ワインの一升瓶を一本、キウイを一山抱えて車に乗る。込具合を見ながら、大月のお袋のところと勝沼には行きか帰りかどちらかで寄ってくる。八ヶ岳の兄夫婦はいつ行っても気持ちよくつきあってくれるので、一緒に蓼科や諏訪の方に遠出するのも良し、去年見つけた山小屋の近くの紹興酒のカメ酒の飲める中華料理屋でダラダラと過ごすのも良し。空いているようだったらゴルフもして体を動かしてみよう。帰りは日曜か月曜か、これも高速の混み具合と天気次第だ。
以上、5月3日連休初日午前11時30分現在
今日は休日なのでゆっくりと…と思っていたのだが、我慢できなくて昨夜遅く、待ちに待ったFedoraCoreー5の公開安定版をダウンロードしました。
バージョンが5にならない4.9…などのテスト版が1、2、3とわりと長く続いてからやっとの登場です。
安定版のリリーススケジュールが遅れて、3月20日だ、と出たのがつい最近、偶然手の空いた日にぶつかったので、昨日はフライングをして公開していそうなミラーサイトを探し回っていくつか見つけたが、どこもビジーで繋がらず、そうこうしているうちに深夜12時を回り、国内のサイトでも公開しはじめたので、おなじみのIIJのFTPサイトから極めてスムースにダウンロードに成功した。そして今日は朝からさっそくDVDに焼いてインストール、実験勉強用の Dell(PowerEdge600SC)機にクリーンインストール。バージョンも5まで来るとインストールも洗練され、格好よく簡単に成功。
RedHat9からFCー1にした当初からこのDell機はサウンドカードを認識してもらえなかったが、残念ながらFCー5になっても改善されていない。
この2年間でだいぶ自分のLinuxスキルも上がってきているので、この際サウンドカードの交換に挑戦してみようかとも思っている。
まあメインマシーン(サーバ)のShuttle-Cubeは、FCー4のここまではハード、ソフトともに完全フィットしているので、なにも実験機のDellから音が出なくてもいっこうに構わないのではあるが。
ただそこは、必要でなかろうとも音が鳴らないのはなぜか…と考え出したら、何としてでも鳴らしてみないと気が収まらない性分の自分である。
さてFCー5のログインしたデスクトップ(Gnome)は一見FCー4と変わらないが、日本語入力のAnthyというのが快適だ。
Linuxをいたずらするようになって今までの間、Macや他の環境と違って一番不便を感じていたのが日本語環境、それも入力変換の効率の悪さや、ユーザ辞書環境の貧しさだったのだが、このAnthyというのがすごい快適で、GUI環境でほとんどAtokやことえり、EGBRIDGEなどの商用FEPと同じ様に使えて、感動ものです。
他にもXenをはじめいくつもの新しい機能等が入っているが、全体的にはFCー1から続くFedoraCoreの超安定版のような仕上がり感がする。
Dell機で少し使ってみてからメインサーバにもいづれと考えているのだが、早くも「一挙にメインサーバ機をFCー5にアップしてみたい」という欲が出てきて困っている。
成田のJALを辞め青山で働いていた長女は、昨年暮一杯でその輸入家具屋さんも、自分のイメージしていた職場とは違ったようで辞めてしまった。
そして今は新宿の高層ビルの中のアメリカの化粧品会社に一般職として勤め、昨年のあれは何だったのだろうとおもうくらい平和に家から毎朝通っている。
定時で終わり、土日が必ず休めるというのが、もともと家庭的でおっとりしたところを持つ長女にとって居心地が良いようだ。
が、その分と言うのか、土日はほとんど遊びに出たままなかなか家には帰ってこない。
つきあいの長いボーイフレンドがいて、土日も仕事というその彼の細かい世話をしによく行っている…と女房が言っていたが、どうだろうか。あまり毎週末ごとにかいがいしくされても彼の方も欝陶しいだろうに…と男としては気になって考えてしまう。
「でももう今年中には…」などともっと気になる事を女房が正月から言いはじめて、僕のいないところで長女といろいろ相談しているようだ。(この疎外感は何だ! ブツ..ブツ..)
一方今度大学4年になる次女は、相変わらずクールにマイペースである。
高校に入る時にヴァイオリンを諦めさせて音楽から足を洗ったかに見えていたが、かえって我々親のような堅苦しいクラシックではなく、自分達の同年代の好きなサウンドに目覚めてしまい、ヘビ・メタから始まって、高校、大学通してずーっとバンドの活動がメインだったようだ。
高校最後の年の学園祭ではじめて彼女のバンドのステージを見てびっくりした。確かに絶対的な音のボリュームが大き過ぎて、最初は拒絶反応をおこしかけたのだが、我々の頃の貧乏な、へたくそな、マネ事なバンドとは違って、しっかりしたテクニックで、音楽としても全然真似でなく、主張もあるし、聞かせる所もあって、最後の頃には辺り構わず大きな拍手をするほど感心したのを思い出す。
大学に入ってからはそのバンド活動のリーダー役を自ら買って出て、作曲、アレンジ、歌、ヴァイオリン、ベースなどの演奏から、CDのデザイン、製作、販売、はてはHPも立ち上げてライブ活動に熱中し、かなりメジャーなステージにも立っていて、今や知るところではそれなりのアーティストのようだ。
ただそんな彼女も今は就職活動の真最中である。
夜遅くまで部屋で願書や資料作りをして、朝になるとリクルートスーツに着替えてやれ面接だ、会社訪問だと騒いでいる。
硬い法科政治学科に学んだのだが、どうもマスコミ、出版関係が狙いのようである。一般職狙いといっているので、卒業してもバンドを続けて行くつもりのようだ。
この娘の就職が決まって晴れて大学卒業となれば、一応我が家も目標としてきた大きな節目にたどり着くことになる。
そこにたどり着いたら今度は少し自分達夫婦の長くしまっておいた夢を取り出して眺めて見ようかと思っている。
だいたい1月の後半ぐらいから僕にはコンピュータの季節がやってくるようだ。
秋から暮れ、正月と盛り上がった仕事、学校、仲間たちとのお付き合いなどが一区切り付いて、春を待つ間のわりと静かな時期で、家の中を見回してレッスン室や書斎などの整理、配置替えなどから始まって、コンピュータ回りの見直しからHPの衣更えなどに手を出す季節のようだ。
必需品の楽譜製作ソフト「Finale」がまたバージョンアップをしたので仕方なく申し込んだら今日早速CDが送られて来た。
最近放り出し気味だったMacを立ち上げ「Finale」をインストールしようとしたら、なんと80GBあったHDDの残りが7GBしかない。
なんでもかんでも放り込んだままで整理してこなかったのを反省しても、さあすぐにとは中身の整理はできない。
インストールはしたが少し不安なので、すぐに増設HDDを買いに行くことにした。
マシーンのスペック等をメモして電器屋に走ったつもりが机に置いたまま飛び出した。
店員にMacの型番やスペックを説明するためにいろいろ思い出していたら、ここ何年か毎年この時期にマシーンを購入していることがわかった。
このMac、G4、デュアルCPU1.25GでOS-XとOS-9の両方ブートするマシーンとしては最後のシリーズを購入したのが2003年の2月だった。
その次の年、2004年の3月には友人に頼んでDellのサーバマシーンにRedhatLinux-9を載せたのを、サーバとLinuxの勉強のために購入している。
一年経って2005年の3月、つまり去年の今頃にはリナックスの勉強からすっかりハマッテしまい、もう一台のLinux専用機としてキューブ型の小さなShuttleを購入してきたのだ。
電器屋の店員にスペックの説明をしようとして、以上のようなことがすべて頭の中で繋がって思いだして来た。
HDDはすぐ見つかったのだが、僕から離れない店員が笑いながら「それで今年はどうするんですか?」と尋ねて来た。
すかさず今年になってからむずむず頭に浮かんできていたアイデアをスラスラと…「Macは楽譜製作やADOBEソフトでの作業用にして、LinuxをいじったりWeb製作など日常作業はShuttleのLinuxが快適なのでそれ専用にして、DellにWindowsかLinuxを載せてサーバ専用にしたいんだけど、Dellはともかく音がうるさくてとても一日立ち上げるのには厳しいから、もう一台ベアボーンのShuttleかな? そうするとやっぱりPentium4かな、それとも64ビットが面白いかな、どう思う?」なんて答えたら店員も呆れ返って目を丸くしていた。
考えればすっかり「オタク」になってしまった僕を見つけてしまった!!
「イタリア近現代歌曲研究会くにたち」こと『Lirica Moderna・リリカ・モデルナ』が第1回演奏会を4月8日の土曜日、音楽の友ホールで開きます。
オペラばかり歌ってきた自分が、あまりにも歌曲、それもイタリアの歌の流れてきた近現代を知らな過ぎるという事にやっと気付き、くにたちの歌の学生や卒業生達と昨年の春から週一のペースで始めた研究会の初めての発表会です。
どんな作曲家がいてどんな歌があるのか、みんなで図書館での資料集めからはじめ、見つかったものを試演奏してみたり、作曲の背景などはじめ作曲家本人やその作品についていろんな角度から探ったり、イタリア語の辞書を使っての歌詞の訳作りなどもしながら研究してきた。
集めやすく、CDはじめ音資料なども多いという事で、今年の研究対象は早くからO.Respighi中心に進んできたが、できれば一年間で2、3人の作曲家を取り上げていろいろ対比しながら研究したかったので、自分の手持ちでわりと豊富な楽譜のあるF.Alfanoも探ってみることにした。
4月の演奏会に向けて年が明けたのでさっそくチラシを作成して臨戦体制に入ってもらう。
3年生のバリトンの堀内君にチラシのアイデアを出してもらい僕がイラストレータで作成したデータをWebで見つけた宅配印刷屋さんに金曜日の夜にお願いしたら今日、月曜の午前にもうできあがって届いた。
明日がちょうど研究会の日、そろそろ歌う曲もみんな絞りこまれてきたので、さっそくこのチラシを渡して、本番に向けた2月と3月の一番大事な練習期間に入ってもらう。
この間のクリスマスから我が家にまた家族が増えた。
小桜インコの「ルリ」で、まだオスかメスかもわからない。
長く飼っていたセキセイが3月に死んでしまい、寂しがっていた女房が自分の誕生日に合わせて近所のペットショップに予約し生まれたばかりの雛の状態で連れてきた。
初代の「ルリ」は名前の通りきれいな瑠璃色をしたセキセイで、有頂天になるといつも「ルリちゃん、ルリちゃん …!」と自分の名前を言うことができた。
今度の小桜インコというのはあまり物真似はできないと説明を受けたがどうだろうか、また女房が根気良く教え込むとしゃべるかもしれない。
特徴は頬から首にかけてのオレンジ色がとてもきれいで羽根全体の深い緑からの一種日本的なグラデーションが他にはない雰囲気の鳥で大きさもセキセイと同じ位の小型インコだ。
それはよいがこの暮れからの列島を襲った大寒波のまっただ中に、我が家のような夏向きの涼しい(?)家に、生まれたばかりで来たので、ヒーターの入った大きな箱に入れて、ずっと家族と一緒に暖房の効いた部屋で世話をしてしまった。
それでどうも甘やかしてしまったようだ。ほとんど自分を人間で家族の一員だと思っているようで、昼間などもカゴに入れて、階段やベランダなど部屋の外においた途端からずーっと「出してくれ!」とばかりに泣き叫び、カゴの網目をクチバシと足でアクロバティックに飛び回って抗議をして出してくれるまで止めない。
これには家族中が負けてしまい、誰かが「可哀想だから」と言ってはカゴから出してあげてしまう。そうすると餌が欲しいわけでもないのか、すぐに誰かの手の平とか、セータのポケットとかに入り込んで、静かになって寝てしまうのだ。
そんなインコの寝息を手の平やセーター越しに感じながら年賀状の返事を片手で書いたりしていた平和な正月ではあった。遅まきながら今年もよろしく!
18時45分の開演時間が迫って来た。本番では合唱指揮の他に、司会進行や独唱もしなくてはならない。
自分のリサイタルの時などには、前もってトークの内容を考えたり時によってはしっかり台本を作っておくのだが、その辺の作業は今回最後に回してしまったので時間が届かず結局ソロのための準備もトークの準備もなにもできない状態で時間が来てしまった。
開演の本ベルが鳴って、一人一人に「頑張ろう!」と声を掛けて、緊張の面持ちのメンバーを舞台に送り出す。
指揮者登場してオープニングはシューベルトの「Die Nacht -夜-」である。本来はア・カペラ(無伴奏)の曲、ピアノの伴奏を薄く薄く入れて「Wie shoen bist du –」と歌い出す。男声合唱の一番の特徴である柔らかくて深みのある自然な倍音が広がって一瞬にして別世界となる。いいスタートだ。2曲目、こんどは一転して、激しく音のぶつかりあうアメリカの新しい合唱曲「Let All Men Sing」でバクバクに緊張した心臓から大声を張り上げる。
緊張したオープニングを終えて、震える声で僕があいさつ。そして団員紹介へと進む。
最初はバスとバリトンを、六本木にみんなびっくりの巨大看板を掲げたキャパサイトの仕掛け人、吉田氏(マークス社長)に紹介してもらう。
今夜おしゃべりをお願いしているのは、吉田氏の他にもう2人いる。音楽ナンバーは前もってタイムを大体計っているので計算できるが、おしゃべりというのは正直言って計算できない。かく言う僕が、舞台でのおしゃべりが時間どおりに納められなくていつも延びてしまう張本人なので、もちろん他人のおしゃべりも大体お願いした時間で収まるはずがないとは思っている。
という訳(?)で吉田氏にはかなりはっきり「遊びすぎないで、すーーっと喋って下さい」とお願いして、ポンポンと紹介してもらった。そのマイクを頂いて僕が次の曲を紹介。
「日本の歌・海の歌3部作」と称してピアノ伴奏を務めるうちの奥方が編曲した浜辺の歌、椰子の実、それに九十九里浜の三曲を歌う。
女の声で歌われることが多いが、男の合唱で歌う浜辺の歌もいいものだと感じた。心暖かく椰子の実を歌って、最後は雄壮な九十九里浜。途中の転調が激しくて、我が団のソルフェージュ能力では習得に時間がかかりすぎるので、真ん中の部分をテノールソロにして合唱でサンドイッチにした。ソロを務めるのはお医者さんで、立派なテノール歌手でもある八反丸氏(ペインクリニック八反丸院長)。彼はここ何年も続けて、柔道の日本選手権大会が国技館で行われる時に「君が代」の演奏をしている。今回は、病後の体調の戻らない中での参加となったが立派に素晴しいソロを務めてくれた。
続いてのテノールの2パートの紹介はワインの専門家で我が団の渉外やメンバー拡充に大活躍してくれている橋口氏(ワイン・パートナー社長)におしゃべりを。吉田氏ほどには時間短縮のお願いをしてなかったので、一人一人丁寧にご紹介頂きたっぷり時間を使って頂いた。
楽しいトークに続いて前半の最後は、みんなの思い込みの激しい歌をということで「はにゅうの宿」とヴェルディの「ナブッコ」。ちょっと心配していたとおり「はにゅうの宿」は思い込みが過ぎたと言うか、ちょっと焦点のボケた演奏になったが、次の「ナブッコ」が溺れやすい感情を少し抑えての格調高い演奏となって、前半をとてもうまく締めくくってくれた。休憩15分。
前半をわりとうまく演奏したメンバー達の顔には余裕の笑みが出てくる。これからは僕の方が大変なのだ。急いで(建物の外を通って..!?)楽屋に戻り、上着を着替えながら、付け焼き刃の発声練習を「あー、あー、あー」とやるが声はひっくりかえったままである。しかたない、なんとか歌えるだろう..と、また急いで(建物の外を通って..!?)舞台袖に戻るともう後半の開始である。
後半最初はソロのコーナー。マトゥーリが初めて榎坂スタジオで練習をしたのが5月だったか、あまりに人数が少なくパートもバラバラでハーモニーにならないので、くにたち音大での歌の生徒2人、守部君と清水君を誘って助っ人に来てもらった。その2人が合宿から今回の演奏会までずっと参加してくれ僕的には大変助かった。そこで、まだ2人とも舞台経験がないので、ソロで歌う時間を演奏会の中にいただくことにした。11月の大学の発表演奏会でこの2人があるオペラの2重唱を歌っていたので、それを今回もと思ったが、やはり勉強になるようにと1人づつのソロにしてもらった。伴奏は、やはり僕のところで4年間伴奏をしてくれていたピアノ科の福田さん。オペラっぽいコーナーにしたかったので、クリスマスの曲用にお願いしてあったヴァイオリンとチェロの、こちらも奥方の桐朋学園の生徒2人に加わってもらい、「カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲」から始まり、バリトン2人の初々しいアリアの演奏や、僕のおしゃべりと歌2曲でコーナーを締めくくった。
ここからが今回一番不確定要素の多いクリスマス・コーナーである。ヴァイオリンの中嶋さん、チェロの岡部さんに奥方のピアノが加わってのキャロルのメドレーから始まるが、後にはコーラスのメンバーがリラックスしてポーズしている。舞台の右後と左前にはクリスマスツリーが飾ってある。右後が我が小林家、左前のレーザを発しているのがバスの小栗家のツリー…全て自前、持ち込みである。
メインはリラックスした雰囲気での「クリスマス・トーク」。バスの素晴しい低音の西尾氏に別途台本を渡して、我が団の精神的中心と言うかシンボルと言うか、 70台トリオの赤井、斎藤、三嶋の諸氏から、普段聞けない面白い、貴重な話を引っ張り出すようにお願いしておいた。西尾氏はそんな僕の大きすぎる期待を感じとったのか、本番の2日前の最終練習のあと、急に体調を崩されて、あやうく出演不可能か?という大ピンチもあった。しかしそんな心配も吹きとばして西尾氏は、似合わないトナカイの角を頭にかぶって、片やサンタ・クロースの帽子をかぶった先輩3人に挑んでくれた。結果は本番が一番素晴らしい出来であった。
その後は西尾さんが、同じバスで弦楽器のお店を経営してらっしゃるヴァイオリンニストの小栗氏(バイオリン・レガート社長)を呼び込む。小栗氏は気分良く雰囲気に乗ってくれ、天使の羽根を背中に付けお店の一番高いヴァイオリンを抱えて登場。ビゼーの「アニュス・デイ」を弾き大喝采を浴びていた。
さてここまで来たら大丈夫、あとはフィナーレまで一直線…と、ほんの少し安心してしまったのか、こともあろうプロの僕がここで大きなミスをしてしまった。
ヴァイオリンが終わり、西尾さんのおしゃべりもうまくいってコーナーの最後は、西尾さんの呼び込みによって僕が登場し、アンサンブルを従えての「諸人こぞりて」から「もみの木」の合唱であるが、アンサンブルの前奏から合唱が歌い出すというところで数え間違えてアタックを出せなかったのである。みんな唖然としていて2、3人だけが正しく歌い出した。一瞬「やりなおそうか?」と頭によぎったが、今までの経験から、何もなかったように続けて行くのが良いと判断し、そのまま続ける。一番の後半からはみんなやっと付いて来て、2番になるとそのもやもやを吹きはらうように大きな声で歌ってくれた。ああー、びっくりした!
あとは何もなかったかのように「もみの木」を歌い上げフィナーレの「シェナンドー」を残すのみになった。
団が結成されてからずーっと団の歌「団歌」を探し続けているがまだ見つからない。そんな中で最初からみんなが大好きになったのがこの「シェナンドー」である。アメリカの民謡ではあるが、とても心懐かしいメロディーと男声のハーモニーの雄大さを楽しめる曲であるためいつも練習の最後に歌って終わりたい曲であった。それゆえにこのファースト・コンサートでも最後に残しておいた。今日舞台に上がってくれた全員が歌う楽しさ、歌う喜びを体中から発散させて歌い酔って大成功のプログラムを終えた。
挨拶させていただき押しつけのアンコール「赤とんぼ」を歌ってもみんな帰る様子がない。演奏会に参加したのは舞台上だけでなく、今日来てくれたお客さま達もその仲間だと、みんなで「ふるさと」を大合唱しての終演。時計は制限時間を大きくこえて午後9時を回っていた。
超過料金のことはとりあえず忘れて、来てくれたお客様を引き連れて神楽坂を下った打ち上げ会場へと急ぐ我々には第一級の寒波も心地よい涼しさであった。
お疲れさま、カンパーイ!!
5月の初練習から、月2回の練習を経て夏の八ヶ岳合宿へと。徐々にではあるが増殖を重ね、山小屋での合宿打ち上げパーティーにてファースト・コンサートの計画を全員で決めてからのスタートである。
12月19日、音楽の友ホールを確保し、9月に入ってのそれからは時間との勝負となった。
メンバーの拡充も、演奏曲目の充実もほとんどゼロのような状況からの計画であったため、名前も決まらず当初は「NANASHI男声合唱団」で音楽雑誌への団員募集などもして充実をはかり、コンサート本番の曲目全てを最初から決め、楽譜、練習用MDを配布しての練習開始であった。
9月から10月へと練習回数を徐々に増やし、さらには11月から12月の本番までの間には10回の練習を重ねた。
先週土曜日の最後の総練習でも出演者全員が揃わず、音の取れていない人もいたりという状況でどうなるのだろうかとさすがの僕も心配になってしまった。
でも僕にはある自信があった。それは自分の演奏家としての経験値からくるものであるが、練習の積み重ねは必ず舞台に反映されるという事だ。それを言うなら練習不足こそ舞台ではごまかせないだろうと言われるだろう。たしかにそうである。しかし言いたいのは重々それを認めて、ある程度の演奏の細かいレベルを我慢して頂いたとしても、9月からの20回ほどの練習の積み重ねは、その分しっかり合唱として舞台に反映されるだろうと言う事である。そこに自信を持とうと言いたいのである。
また練習不足の人達にも、その少ない機会に、この歌、その歌の一番大切な所は伝えてある。しっかり憶えていない人は、みんながこう歌いたいんだという雰囲気をしっかり感じてもらっているので大丈夫である。それとまだ総勢21、2名の合唱であるから、おのずと「口パク」や「並んでいるだけ」というメンバーはありえない。まさに一人一人の声がこの合唱団の響きを構成していて、一人も手抜きができない状況である。つまり合唱団が先にあって各々がそれに参加するのではなくて、各々一人一人の歌、声があってそれが集まった結果がマトゥーリ合唱団であるしマトゥーリの響きになるのである。まあともかくも何もないところからの最初とはこうも言い訳ができる気楽さがある。
さて今年一番の大型寒気団に囲まれた19日の月曜日、神楽坂の音楽之友ホールだけは熱気が充満していた。いよいよ我らが「マトゥーリ男声合唱団」のファースト・コンサートである。
暮れの一番忙しい時にもかかわらず、この日だけは午前の11時に集まってもらった。突貫工事ではないが土曜日の最終練習でできなかった一番大事な音楽練習を、まずは確保したかったからである。音楽の友ホールは最近のホール事情から言ったら少し地味であろうか。しかしそのかわり我々向きに響きが豊富なので結局は選択としては良かったと思う。豊かな響きの舞台上で最初のハーモニーを確認すると気持ちの良い響きが耳に戻ってくる。13時すぎまで、初めて立ったままで練習する。
一時間の昼食の後は舞台での細かい動き、並び、出入りからおしゃべりやアンサンブルとの合わせ等で飛ぶように時間が過ぎて行く。合間に桐朋学園の学生2人のヴァイオリンとチェロの練習もみんなで聞く。声の音楽もいいが弦楽器の響きも体中が癒されるようでつかのまであるがリラックスする。アンサンブルを含んだ後半部分を通して練習し、その後に前半部分をおしゃべり等も本番のつもりで通して全てのリハーサルを終了。
気がつくともう開場時間間際、ホール・エントランスの方がなんとなく騒々しくなって来ていた。
<この項、次回に続きます!>