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ブログ倉庫1(2005/4-2014/10)

オペラ歌手、声楽家…になるきっかけは高校時代の合唱だった.団塊世代の中学高校時代は、巨人・大鵬・卵焼き..といわれたが、他にもPPM(ピーターポール&マリー)から始まるフォークソングが流行り、ちょうど高校に入る頃には「高校三年生」の舟木一夫が銭湯の中からデビューしてきた.
野球、陸上と屋外で飛び回っていた僕が中学時代には卓球部に入った.毎日の体育館での練習、我々卓球やバスケットなどの練習が終わるある秋の夕方、静かになった体育館の隅で地区の合唱コンクールに向けて最後の追い込み練習に入っていたコーラス部の歌が流れてきた.それが何とも甘く心に残った.流行り出したフォークソングや、英米の流行歌を聞きかじってはギターを習い始めた親友と一緒になって歌って遊んでいた僕の胸にしっかりと刻まれて残った.
我々団塊の世代のもう一つの代名詞に「受験戦争」があった.割と良い成績で高校にも入ったせいで、最初から受験競争の最前線に放り出されたが、元来あまのじゃくだった僕は気に入らず「進学しないで早く社会に出て仕事がしたい」と突っぱね「就職クラス」に.その時に教育実習で我々のクラス担当となった当時国立-くにたち-音大学生の佐々木先生によって僕の音楽の世界が開かれた事は僕の生涯の分岐点になった.
笑い話だが同じ「かずお」という事で舟木一夫に自分を重ね合わせ、彼の歌を歌って芸能プロダクションのオーディションを受ける寸前までいった.運命の偶然は、すっかり受験気分になっていたそのオーディションの指定された日付が直前にプロダクション側の都合で変更になった事だった.今度はコーラス部の県大会出場のステージと重なってしまって、その頃にはすっかり佐々木先生に信奉していたコーラス部のメンバーの僕としては、泣く泣くオーディションを諦めざるを得なかった.そこから先、佐々木先生からコーラスと歌の素晴らしさを教えてもらい、すっかり音楽の世界をめざすようになり、彼女の母校、国立音楽大学の門をくぐっていった.音大を出、イタリアに留学し、そのままイタリア、ドイツでオペラ歌手として仕事を始めました.
その後帰国して日本で歌うようになったそのデビューがベートーベン「第9交響曲」の独唱者としてであったが、この公演は毎年国立音大のコーラスがNHK交響楽団と共演する暮の大イベントだった.
これも偶然であるが不思議な事に、合唱育ちで、国立卒である僕なのに、この恒例の「N響・第9」のコーラスのステージに学生時代には立っていなかったのである.僕が国立の3、4年生(第9出演は3,4年生)だった時だけN響は、当時活動が盛んだったプロ連(日本プロ合唱団連合-今はもうない)に第9の合唱を任せざるを得なく、国立の学生との暮の第9共演がなかったのである.
そうやって高校での合唱を最後になぜか、合唱とはすれ違いを繰り返してきた僕が、オペラ歌手としての仕事も山を越えはじめた1999年に偶然、ある男声合唱団を立ち上げ、指導する事になった.
このへんの話は長いので、<続く>としてまた改めて書いてゆきます.
今回は新しい合唱団設立である.ともかく理屈なしに自分たちが楽しめる合唱団をめざして練習を始めます.
夏までは月1〜2回の練習で、歌う喜び、楽しさを感じてもらいながら形作ってゆきます.夏ごろの段階で人が集まり意見がまとまったら暮にでもどこか小さなホールをとって演奏会を企画してゆこうと思っています.歌ってゆく曲の傾向もまだ決まっていません、とりあえずは僕のセンスで始めてみますがそれも参加者みんなの意見を聞いて決めてゆきます.
入団、参加の制限は一切ありませんが、男声合唱団をめざしますので残念ながら女性は無理です.何人集まるか、最初の練習はこの11日(水曜日)18:00〜21:00、サントリーホール裏の「榎坂スタジオ」(営団地下鉄溜池山王駅下車・港区赤坂1‐12‐12 Tel.03‐3585‐1313)から始まります.
どう化けるかわかりませんが、ずーっとすれ違いばかりだった合唱と、今回は添い遂げるつもりでやってゆきます.偶然この記事を読まれて興味が湧いた方はぜひ参加して、栄えある創設メンバーになってみませんか?

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