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ブログ倉庫1(2005/4-2014/10)

8月1日の仕事始めに備えて10日ほど前に、今度は大きなバッグを衣類と楽譜で一杯に膨らませて再度オールデンブルグの駅に降り立った。
劇場の事務局の紹介で同じ劇場で働く3人の日本人を紹介された。日本ではクラリネットで嘱望されたが、競争率の高い楽器ゆえにヨーロッパではなかなか職場が見付からず、結婚したドイツ人の奥さまの提案でクラリネットをビオラに持ち替えてここに職を得たO氏。東京のオーケストラでの長い職歴を全部捨てて、ドイツに新天地を求めて家族ごと移り住んで頑張るコントラバスのM氏、それにやはり東京でデビューした後、アメリカや他のドイツの劇場などを転々としてここにたどり着いた、まだ若い独身の男性バレーダンサーS氏。家庭が全部日本人で一番相談に乗ってもらえるという事でコントラバスのMさんにアパート探しから契約、それに細かい生活のことまで何から何まで全てお世話になった。
仕事を始めるにあたりまず一番問題だった「外国人就労ビザ」が事務局の手配でクリアになったという報告を受ける。これでめでたく僕の契約が効力を発することとなった。9月にオープンする新シーズンのプレミエーレ公演を始めとする出演演目の練習が始まった。この年の新入りの歌手の中に、僕と同じ「新人契約」としてドイツデビューをするアメリカ人のソプラノ歌手がいることを知った。アメリカで学校の教師をしていて夢を果たすためにオーディションを受けてドイツに渡ってきたという、スレンダーで長い金髪の美人で名前をフラン・ルバーンといった。ドイツ語は僕と良い勝負かもしれないと思うくらい喋れなかったのを憶えている。二人とも同じ演目でデビューするためほとんど毎日一緒だった。朝から二人揃ってドイツ語のセリフの稽古を受け、その後はコルペティと呼ばれるオペラの稽古ピアニストの元での音楽稽古。一緒にカンティーネで食事して午後は演出家の先生との立ち稽古、これもほとんどいつも二人だけだった。最初は彼女にたいして語学的に少し優越感を持っていた自分だったが、やがてすぐに自分のオリジンの言語体系の違いを身をもって知らされるようになった。彼女はアメリカから一度も外国に出たことがなくドイツ語は本当に初心者だったが、英語とドイツ語の親戚関係は強かった。僕が日を追ってもなかなか上達しないのに、彼女のドイツ語の上達は目を剥くほどの速さだった。この違いが後々の二人の将来に少なからず違いを生むようになってゆくのだが、東洋人としての大きな壁をはっきりとした形で感じはじめたのはよく憶えている。<続く>

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