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ブログ倉庫1(2005/4-2014/10)

次の日、ホテルで声を出してから劇場の通用門をくぐる.観客のいない真っ暗な客席に入ると、明るく浮き上がった舞台の上ではまだオペラのリハーサルが続いていた.
少しづつその場の状況に目が慣れてみると、舞台上にはセータを羽織ったドミンゴが立っていた.オーケストラピットの中のあのアフロヘアと特徴的な話し声はレヴァインだ.そして舞台には有名なヴェルディのオペラ「オテッロ」の第2幕が飾られていた.巨大な岩山の隠れ家のようなイメージの舞台装置の上で、ドミンゴと他の歌手達が殆ど声をセーブしながら動きの確認をしている.オーディションの事も忘れて10分ぐらいだろうか、僕はすっかり観客になっていた.
練習が終わり誰もいなくなった舞台を眺めている自分に、少しして暗やみの後ろからマエストロの声が言った.「やるづらいかも知れないが、あの舞台の上で歌ってみて下さい」.「えー、ドミンゴのいたあのオテッロの舞台の上で歌えるの?やったーー!」なんて今では叫ぶでしょうが、当時はそんな事はどうでもよくていきなり緊張したのを憶えている.特に自分が本調子でないことが緊張に拍車をかけた.
客席には4人いた.マエストロ・パタネ、ドクター・エヴァーディング、マエストロ・レヴァイン、それに多分劇場関係であろう知らない人.僕はその年いろいろなオーディションなどで歌っていた得意の曲を中心に並べた.最初にモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」のアリア”私の大事な恋人”を歌い、次にヴェローナでマエストロに褒められたロッシーニ「ウイリアム・テル」のアリア”ああ、懐かしき隠れ家よ”を無事にミス無く歌えた.
ただ3曲目に実は自信が今一つないドニゼッティ「愛の妙薬」のアリア”人知れぬ涙”を入れていた.この曲はなぜ難しいかというと、テノールの中の一番軽いレッジェーロという声の種類の代表的な名曲なのだが、僕の声がそのレッジェーロから比べてほんの少し重みのある声なので、その微妙なコントロールが僕にとってはとても難しいのだ.だったらそんな曲を無理して歌わなければと思うのだが、なかなかその頃の僕の声にちょうど合う「ドイツでも有名な」曲はあまりなかったのだ.僕のその頃の声で、ヴェルディやプッチーニを歌うのは、東洋人という事もあって舞台的に想像できない分、現実的ではなかった.結論的に言えば、自分がマスターしきっていない曲を、いろいろな事情があるとは言え、大事なオーディションで歌わなくてはならない状況に追い込まれていたという事であった.
実際の歌唱では、はっきりわかるようなミスや失敗はしなかったが、声のコントロールに集中せざるを得なかった分、表情や歌の全体の流れが不自然になって、聞く方にとってかなりつまらない歌に聞こえたであろうという感覚がはっきり残った.超有名な曲をつまらなく歌ってしまってはとりあえずノーチャンスである.自分自身ちょっと悔いの残るオーディションになってしまった.3人のマエストロに丁寧にお礼を言って劇場を後にする.
オールデンブルグに帰る電車の中で、ミラノでの最後のレッスンの時にカルボーネ先生が涙を流しながら言ってくれた言葉がずっと響いていた.「カズオ、私があと10年若かったら世界中どこまででもおまえに付いて行って聞いていてあげられるのに.そうしたらお前はパリでだろうと、ニューヨークでだろうと自信満々で名声を築けるのに..」<続く>

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