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ブログ倉庫1(2005/4-2014/10)

「カズオ、私があと10年若くて一緒について行けたら、お前は世界中で名声を築けるのに..」我が師、カルボーネ女史のこの言葉はオペラ歌手という職業の本質をよく表しています。
他の楽器と違って歌い手はその楽器を体の中に持っています。と云う事は自分の出す声、自分の歌う歌というものを客観的に判断するのがとても難しいという事です。自分が出す声が正しい音程であると思っても、実際に他人の耳で離れて聞いた場合正しくないというような事がプロのレベルでも起こります。
音楽家・演奏家の修行の大きな部分は、音を聞き分ける耳を作ることとも言えます。歌い手もその事は同じですが、ひとつ違うのは楽器そのものに付いた耳であるという事で、他の楽器に比べて歌の声は音の進み方が極端に直進的であるという特性と考えあわせると、自分の声や歌を、自分の耳で判断、コントロールすることが非常に難しいということになるのです。
ですから歴史的にみても、歌い手というものはいつも、他人の良い耳を求めて、それによって判断、コントロールして演奏を成り立たせてきました。つまりオペラ歌い手はいつも良いボイストレーナー、コントローラーとの二人三脚で成り立ってきたのです。
一対一のレッスンを重ねながら声や歌を作り上げてゆきますが、本番になり大勢の前で歌う時、オペラのステージで歌う時、毎回歌う周りの状況は違いますし、また歌い手の体、つまり楽器の状態も毎回違って二度と同じ状態は無いのです。
身近な例だと、プロゴルファーに似ているかも知れません。ショットやパットが面白いように決まる日がありますが、プロゴルファーのほとんどは、そんな理想的なラウンドの後でも、練習場で一生懸命練習します。それは今日のこの理想的なラウンドをつくり出した肉体が、明日の朝、同じ様なバランスで同じ様に動いてくれる保証なんてなにもないという事をよく知っているからでしょう。
オペラ歌手でもイタリアオペラのテノールとなると、他に比べて非常にリスキーな、スリリングな声をいつも求められますから、その時の体の状態によって天と地ほど結果に差が出てくるのです。それがために自分では把握しきれない自分の体、喉の状態、バランスなどを外から判断し、適切なトレーニングでコントロールしてくれる人が必要になってくるのです。
私の尊敬する偉大なテノール歌手にフランコ・コレッリという人がいますが、彼が全盛期ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場で歌っている時、自分の声の調子を保つために、自分の声を一番知っている歌の先生が住んでいるスペインまで毎日電話をかけて、電話越しに「アー、アー、アー」と発声練習を受けながら乗り切ったという話は有名です。
私の恩師、マリア・カルボーネ先生は1950年代まで世界中で大活躍したソプラノ歌手。名テノール、ベニアミーノ・ジーリ、それに作曲家のピエトロ・マスカーニとの3人のコンビは非常に有名でマスカーニのオペラのほとんどをジーリと歌っています。また前述の指揮者ジュゼッペ・パタネが、当時世界的な指揮者だった親の七光りで、幼少の頃にナポリのサン・カルロ歌劇場でデビューした時にもジーリと共に舞台に立っていました。ニューヨークにもたくさん客演して、ハリウッド西部劇のあのジョン・ウェインとは浮名を流した事もあったらしい。
そんなカルボーネ先生が僕をドイツに送り出す時に涙を流しながら言ってくれたのがこの言葉。
先生としては、僕の声と歌をコントロールできる所にいられたら、つまり時には舞台先に一緒に行って僕の声をコントロールできたら、先生がキャリアを積んだような、世界の一流の歌劇場でカズオも活躍できるのにと考えて教えてきてくれたのです。
そんなカルボーネ先生に最後にあったのは5、6年ほど前だったか。ドイツからイタリアに戻り、その後活動拠点を日本に移して、結婚し家庭を作って10数年、イタリアは初めてという女房と娘二人を連れて、久し振りにローマのお宅にお邪魔した。その頃はもう日本から自分の弟子を送ってお願いするような状況になっていたが、久し振りに受ける先生のレッスンは、故郷の実家のお袋料理のように、僕の声、歌を易々と甦らせてくれた。昔の言葉を憶えていたのかどうか聞けなかったが、彼女は誇らしげに言った:「ほら、カズオ!お前の声にはいつでも私が必要、お前の歌は私が創ったものだよ。」ー Kazuo, ricordati ! Tu sei la mia creatura ! –

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