今日は休日なのでゆっくりと…と思っていたのだが、我慢できなくて昨夜遅く、待ちに待ったFedoraCoreー5の公開安定版をダウンロードしました。
バージョンが5にならない4.9…などのテスト版が1、2、3とわりと長く続いてからやっとの登場です。
安定版のリリーススケジュールが遅れて、3月20日だ、と出たのがつい最近、偶然手の空いた日にぶつかったので、昨日はフライングをして公開していそうなミラーサイトを探し回っていくつか見つけたが、どこもビジーで繋がらず、そうこうしているうちに深夜12時を回り、国内のサイトでも公開しはじめたので、おなじみのIIJのFTPサイトから極めてスムースにダウンロードに成功した。そして今日は朝からさっそくDVDに焼いてインストール、実験勉強用の Dell(PowerEdge600SC)機にクリーンインストール。バージョンも5まで来るとインストールも洗練され、格好よく簡単に成功。
RedHat9からFCー1にした当初からこのDell機はサウンドカードを認識してもらえなかったが、残念ながらFCー5になっても改善されていない。
この2年間でだいぶ自分のLinuxスキルも上がってきているので、この際サウンドカードの交換に挑戦してみようかとも思っている。
まあメインマシーン(サーバ)のShuttle-Cubeは、FCー4のここまではハード、ソフトともに完全フィットしているので、なにも実験機のDellから音が出なくてもいっこうに構わないのではあるが。
ただそこは、必要でなかろうとも音が鳴らないのはなぜか…と考え出したら、何としてでも鳴らしてみないと気が収まらない性分の自分である。
さてFCー5のログインしたデスクトップ(Gnome)は一見FCー4と変わらないが、日本語入力のAnthyというのが快適だ。
Linuxをいたずらするようになって今までの間、Macや他の環境と違って一番不便を感じていたのが日本語環境、それも入力変換の効率の悪さや、ユーザ辞書環境の貧しさだったのだが、このAnthyというのがすごい快適で、GUI環境でほとんどAtokやことえり、EGBRIDGEなどの商用FEPと同じ様に使えて、感動ものです。
他にもXenをはじめいくつもの新しい機能等が入っているが、全体的にはFCー1から続くFedoraCoreの超安定版のような仕上がり感がする。
Dell機で少し使ってみてからメインサーバにもいづれと考えているのだが、早くも「一挙にメインサーバ機をFCー5にアップしてみたい」という欲が出てきて困っている。

だいたい1月の後半ぐらいから僕にはコンピュータの季節がやってくるようだ。
秋から暮れ、正月と盛り上がった仕事、学校、仲間たちとのお付き合いなどが一区切り付いて、春を待つ間のわりと静かな時期で、家の中を見回してレッスン室や書斎などの整理、配置替えなどから始まって、コンピュータ回りの見直しからHPの衣更えなどに手を出す季節のようだ。
必需品の楽譜製作ソフト「Finale」がまたバージョンアップをしたので仕方なく申し込んだら今日早速CDが送られて来た。
最近放り出し気味だったMacを立ち上げ「Finale」をインストールしようとしたら、なんと80GBあったHDDの残りが7GBしかない。
なんでもかんでも放り込んだままで整理してこなかったのを反省しても、さあすぐにとは中身の整理はできない。
インストールはしたが少し不安なので、すぐに増設HDDを買いに行くことにした。
マシーンのスペック等をメモして電器屋に走ったつもりが机に置いたまま飛び出した。
店員にMacの型番やスペックを説明するためにいろいろ思い出していたら、ここ何年か毎年この時期にマシーンを購入していることがわかった。
このMac、G4、デュアルCPU1.25GでOS-XとOS-9の両方ブートするマシーンとしては最後のシリーズを購入したのが2003年の2月だった。
その次の年、2004年の3月には友人に頼んでDellのサーバマシーンにRedhatLinux-9を載せたのを、サーバとLinuxの勉強のために購入している。
一年経って2005年の3月、つまり去年の今頃にはリナックスの勉強からすっかりハマッテしまい、もう一台のLinux専用機としてキューブ型の小さなShuttleを購入してきたのだ。
電器屋の店員にスペックの説明をしようとして、以上のようなことがすべて頭の中で繋がって思いだして来た。
HDDはすぐ見つかったのだが、僕から離れない店員が笑いながら「それで今年はどうするんですか?」と尋ねて来た。
すかさず今年になってからむずむず頭に浮かんできていたアイデアをスラスラと…「Macは楽譜製作やADOBEソフトでの作業用にして、LinuxをいじったりWeb製作など日常作業はShuttleのLinuxが快適なのでそれ専用にして、DellにWindowsかLinuxを載せてサーバ専用にしたいんだけど、Dellはともかく音がうるさくてとても一日立ち上げるのには厳しいから、もう一台ベアボーンのShuttleかな? そうするとやっぱりPentium4かな、それとも64ビットが面白いかな、どう思う?」なんて答えたら店員も呆れ返って目を丸くしていた。
考えればすっかり「オタク」になってしまった僕を見つけてしまった!!
18時45分の開演時間が迫って来た。本番では合唱指揮の他に、司会進行や独唱もしなくてはならない。
自分のリサイタルの時などには、前もってトークの内容を考えたり時によってはしっかり台本を作っておくのだが、その辺の作業は今回最後に回してしまったので時間が届かず結局ソロのための準備もトークの準備もなにもできない状態で時間が来てしまった。
開演の本ベルが鳴って、一人一人に「頑張ろう!」と声を掛けて、緊張の面持ちのメンバーを舞台に送り出す。
指揮者登場してオープニングはシューベルトの「Die Nacht -夜-」である。本来はア・カペラ(無伴奏)の曲、ピアノの伴奏を薄く薄く入れて「Wie shoen bist du –」と歌い出す。男声合唱の一番の特徴である柔らかくて深みのある自然な倍音が広がって一瞬にして別世界となる。いいスタートだ。2曲目、こんどは一転して、激しく音のぶつかりあうアメリカの新しい合唱曲「Let All Men Sing」でバクバクに緊張した心臓から大声を張り上げる。
緊張したオープニングを終えて、震える声で僕があいさつ。そして団員紹介へと進む。
最初はバスとバリトンを、六本木にみんなびっくりの巨大看板を掲げたキャパサイトの仕掛け人、吉田氏(マークス社長)に紹介してもらう。
今夜おしゃべりをお願いしているのは、吉田氏の他にもう2人いる。音楽ナンバーは前もってタイムを大体計っているので計算できるが、おしゃべりというのは正直言って計算できない。かく言う僕が、舞台でのおしゃべりが時間どおりに納められなくていつも延びてしまう張本人なので、もちろん他人のおしゃべりも大体お願いした時間で収まるはずがないとは思っている。
という訳(?)で吉田氏にはかなりはっきり「遊びすぎないで、すーーっと喋って下さい」とお願いして、ポンポンと紹介してもらった。そのマイクを頂いて僕が次の曲を紹介。
「日本の歌・海の歌3部作」と称してピアノ伴奏を務めるうちの奥方が編曲した浜辺の歌、椰子の実、それに九十九里浜の三曲を歌う。
女の声で歌われることが多いが、男の合唱で歌う浜辺の歌もいいものだと感じた。心暖かく椰子の実を歌って、最後は雄壮な九十九里浜。途中の転調が激しくて、我が団のソルフェージュ能力では習得に時間がかかりすぎるので、真ん中の部分をテノールソロにして合唱でサンドイッチにした。ソロを務めるのはお医者さんで、立派なテノール歌手でもある八反丸氏(ペインクリニック八反丸院長)。彼はここ何年も続けて、柔道の日本選手権大会が国技館で行われる時に「君が代」の演奏をしている。今回は、病後の体調の戻らない中での参加となったが立派に素晴しいソロを務めてくれた。
続いてのテノールの2パートの紹介はワインの専門家で我が団の渉外やメンバー拡充に大活躍してくれている橋口氏(ワイン・パートナー社長)におしゃべりを。吉田氏ほどには時間短縮のお願いをしてなかったので、一人一人丁寧にご紹介頂きたっぷり時間を使って頂いた。
楽しいトークに続いて前半の最後は、みんなの思い込みの激しい歌をということで「はにゅうの宿」とヴェルディの「ナブッコ」。ちょっと心配していたとおり「はにゅうの宿」は思い込みが過ぎたと言うか、ちょっと焦点のボケた演奏になったが、次の「ナブッコ」が溺れやすい感情を少し抑えての格調高い演奏となって、前半をとてもうまく締めくくってくれた。休憩15分。
前半をわりとうまく演奏したメンバー達の顔には余裕の笑みが出てくる。これからは僕の方が大変なのだ。急いで(建物の外を通って..!?)楽屋に戻り、上着を着替えながら、付け焼き刃の発声練習を「あー、あー、あー」とやるが声はひっくりかえったままである。しかたない、なんとか歌えるだろう..と、また急いで(建物の外を通って..!?)舞台袖に戻るともう後半の開始である。
後半最初はソロのコーナー。マトゥーリが初めて榎坂スタジオで練習をしたのが5月だったか、あまりに人数が少なくパートもバラバラでハーモニーにならないので、くにたち音大での歌の生徒2人、守部君と清水君を誘って助っ人に来てもらった。その2人が合宿から今回の演奏会までずっと参加してくれ僕的には大変助かった。そこで、まだ2人とも舞台経験がないので、ソロで歌う時間を演奏会の中にいただくことにした。11月の大学の発表演奏会でこの2人があるオペラの2重唱を歌っていたので、それを今回もと思ったが、やはり勉強になるようにと1人づつのソロにしてもらった。伴奏は、やはり僕のところで4年間伴奏をしてくれていたピアノ科の福田さん。オペラっぽいコーナーにしたかったので、クリスマスの曲用にお願いしてあったヴァイオリンとチェロの、こちらも奥方の桐朋学園の生徒2人に加わってもらい、「カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲」から始まり、バリトン2人の初々しいアリアの演奏や、僕のおしゃべりと歌2曲でコーナーを締めくくった。
ここからが今回一番不確定要素の多いクリスマス・コーナーである。ヴァイオリンの中嶋さん、チェロの岡部さんに奥方のピアノが加わってのキャロルのメドレーから始まるが、後にはコーラスのメンバーがリラックスしてポーズしている。舞台の右後と左前にはクリスマスツリーが飾ってある。右後が我が小林家、左前のレーザを発しているのがバスの小栗家のツリー…全て自前、持ち込みである。
メインはリラックスした雰囲気での「クリスマス・トーク」。バスの素晴しい低音の西尾氏に別途台本を渡して、我が団の精神的中心と言うかシンボルと言うか、 70台トリオの赤井、斎藤、三嶋の諸氏から、普段聞けない面白い、貴重な話を引っ張り出すようにお願いしておいた。西尾氏はそんな僕の大きすぎる期待を感じとったのか、本番の2日前の最終練習のあと、急に体調を崩されて、あやうく出演不可能か?という大ピンチもあった。しかしそんな心配も吹きとばして西尾氏は、似合わないトナカイの角を頭にかぶって、片やサンタ・クロースの帽子をかぶった先輩3人に挑んでくれた。結果は本番が一番素晴らしい出来であった。
その後は西尾さんが、同じバスで弦楽器のお店を経営してらっしゃるヴァイオリンニストの小栗氏(バイオリン・レガート社長)を呼び込む。小栗氏は気分良く雰囲気に乗ってくれ、天使の羽根を背中に付けお店の一番高いヴァイオリンを抱えて登場。ビゼーの「アニュス・デイ」を弾き大喝采を浴びていた。
さてここまで来たら大丈夫、あとはフィナーレまで一直線…と、ほんの少し安心してしまったのか、こともあろうプロの僕がここで大きなミスをしてしまった。
ヴァイオリンが終わり、西尾さんのおしゃべりもうまくいってコーナーの最後は、西尾さんの呼び込みによって僕が登場し、アンサンブルを従えての「諸人こぞりて」から「もみの木」の合唱であるが、アンサンブルの前奏から合唱が歌い出すというところで数え間違えてアタックを出せなかったのである。みんな唖然としていて2、3人だけが正しく歌い出した。一瞬「やりなおそうか?」と頭によぎったが、今までの経験から、何もなかったように続けて行くのが良いと判断し、そのまま続ける。一番の後半からはみんなやっと付いて来て、2番になるとそのもやもやを吹きはらうように大きな声で歌ってくれた。ああー、びっくりした!
あとは何もなかったかのように「もみの木」を歌い上げフィナーレの「シェナンドー」を残すのみになった。
団が結成されてからずーっと団の歌「団歌」を探し続けているがまだ見つからない。そんな中で最初からみんなが大好きになったのがこの「シェナンドー」である。アメリカの民謡ではあるが、とても心懐かしいメロディーと男声のハーモニーの雄大さを楽しめる曲であるためいつも練習の最後に歌って終わりたい曲であった。それゆえにこのファースト・コンサートでも最後に残しておいた。今日舞台に上がってくれた全員が歌う楽しさ、歌う喜びを体中から発散させて歌い酔って大成功のプログラムを終えた。
挨拶させていただき押しつけのアンコール「赤とんぼ」を歌ってもみんな帰る様子がない。演奏会に参加したのは舞台上だけでなく、今日来てくれたお客さま達もその仲間だと、みんなで「ふるさと」を大合唱しての終演。時計は制限時間を大きくこえて午後9時を回っていた。
超過料金のことはとりあえず忘れて、来てくれたお客様を引き連れて神楽坂を下った打ち上げ会場へと急ぐ我々には第一級の寒波も心地よい涼しさであった。
お疲れさま、カンパーイ!!
5月の初練習から、月2回の練習を経て夏の八ヶ岳合宿へと。徐々にではあるが増殖を重ね、山小屋での合宿打ち上げパーティーにてファースト・コンサートの計画を全員で決めてからのスタートである。
12月19日、音楽の友ホールを確保し、9月に入ってのそれからは時間との勝負となった。
メンバーの拡充も、演奏曲目の充実もほとんどゼロのような状況からの計画であったため、名前も決まらず当初は「NANASHI男声合唱団」で音楽雑誌への団員募集などもして充実をはかり、コンサート本番の曲目全てを最初から決め、楽譜、練習用MDを配布しての練習開始であった。
9月から10月へと練習回数を徐々に増やし、さらには11月から12月の本番までの間には10回の練習を重ねた。
先週土曜日の最後の総練習でも出演者全員が揃わず、音の取れていない人もいたりという状況でどうなるのだろうかとさすがの僕も心配になってしまった。
でも僕にはある自信があった。それは自分の演奏家としての経験値からくるものであるが、練習の積み重ねは必ず舞台に反映されるという事だ。それを言うなら練習不足こそ舞台ではごまかせないだろうと言われるだろう。たしかにそうである。しかし言いたいのは重々それを認めて、ある程度の演奏の細かいレベルを我慢して頂いたとしても、9月からの20回ほどの練習の積み重ねは、その分しっかり合唱として舞台に反映されるだろうと言う事である。そこに自信を持とうと言いたいのである。
また練習不足の人達にも、その少ない機会に、この歌、その歌の一番大切な所は伝えてある。しっかり憶えていない人は、みんながこう歌いたいんだという雰囲気をしっかり感じてもらっているので大丈夫である。それとまだ総勢21、2名の合唱であるから、おのずと「口パク」や「並んでいるだけ」というメンバーはありえない。まさに一人一人の声がこの合唱団の響きを構成していて、一人も手抜きができない状況である。つまり合唱団が先にあって各々がそれに参加するのではなくて、各々一人一人の歌、声があってそれが集まった結果がマトゥーリ合唱団であるしマトゥーリの響きになるのである。まあともかくも何もないところからの最初とはこうも言い訳ができる気楽さがある。
さて今年一番の大型寒気団に囲まれた19日の月曜日、神楽坂の音楽之友ホールだけは熱気が充満していた。いよいよ我らが「マトゥーリ男声合唱団」のファースト・コンサートである。
暮れの一番忙しい時にもかかわらず、この日だけは午前の11時に集まってもらった。突貫工事ではないが土曜日の最終練習でできなかった一番大事な音楽練習を、まずは確保したかったからである。音楽の友ホールは最近のホール事情から言ったら少し地味であろうか。しかしそのかわり我々向きに響きが豊富なので結局は選択としては良かったと思う。豊かな響きの舞台上で最初のハーモニーを確認すると気持ちの良い響きが耳に戻ってくる。13時すぎまで、初めて立ったままで練習する。
一時間の昼食の後は舞台での細かい動き、並び、出入りからおしゃべりやアンサンブルとの合わせ等で飛ぶように時間が過ぎて行く。合間に桐朋学園の学生2人のヴァイオリンとチェロの練習もみんなで聞く。声の音楽もいいが弦楽器の響きも体中が癒されるようでつかのまであるがリラックスする。アンサンブルを含んだ後半部分を通して練習し、その後に前半部分をおしゃべり等も本番のつもりで通して全てのリハーサルを終了。
気がつくともう開場時間間際、ホール・エントランスの方がなんとなく騒々しくなって来ていた。
<この項、次回に続きます!>
マトゥーリ男声合唱団の活動は、声を出して歌う前も忙しい。
12月19日に決めた第1回演奏会は小さめなホール、収容200人ほどなので特別大きなポスターを作って張ったり、チラシを何千枚もバラまいてお客さんを集める必要もあまりない。出演のメンバー達が親しい友達や家族など一人10人ほど集めれば一杯になる。というわけで取り立てて集客にお金を掛けなくてもよいのだが、そこはやはりちゃんとしたホールでの演奏会、チラシやポスターがそこここに出回って何人かでも一般の聴衆が聞いてくれるというのが大事なのだ。
そこで遊び心のある事務局長の板井氏と一緒に、Illustratorを使ってコンサートのチラシ作りに挑戦している。なんとか今週中に作り、来週早々にでも印刷に入れればと思っている。これができれば一挙に演奏会に向けて現実感が盛り上がってくるでしょう。あとは演奏する曲目を一曲一曲マスターして行く。どんな風に演奏会当日を迎えるか今から楽しみである。
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デビューコンサート(12月19日、音楽の友ホール)も決まっていよいよ動き出したマトゥーリ男声合唱団、団員募集もしながらもともかく歌える歌を一曲づつでも増やしてゆかなくてはならない。12月のコンサートではクリスマスコーナーで少し手抜きができるとしても、肝心の合唱の演奏を10曲位はは揃えなくてはならない。
ということでさっそく先週から楽譜作りとパート別の練習用テープ(MD)の製作に掛かりきりになる。
今月中にコンサートで歌う全ての曲の楽譜とMDを揃えてみんなに渡したい。数少ない練習でたくさんの曲を仕上げなくてはならないので、団員個人々々にはMDを肌身離さずに聞いてもらい、早く歌を憶えてもらうためだ。
曲目の内容はあまり高望みもできないが、日本の歌、外国の歌、それに季節のクリスマスソングなどでバランスよく考える。まず日本の歌はうちの奥方の編曲による「海の歌シリーズ」と題した「浜辺の歌」「椰子の実」「九十九里」の3曲にする。みんな知っている曲だし、「九十九里」の豪快なエネルギーが他の2曲の叙情性を引き立たせるのでうまいバランスになる。
外国の歌は歌いたがっている格好いい曲はたくさんある。その中からまず「シェナンドー」と「ナブッコ」を入れようと思う。「シェナンドウ」は春からやってきて夏の合宿で一応できあがっているお気に入り。「ナブッコ」はオペラファンでなくても憧れるヴェルディの名曲、絶対やりたいと言う。あと「Let’s All Men Sing」というアメリカの曲。全米の合唱フェスティバルかなにかの折に依嘱作曲された曲でやさしいわりには男声合唱の醍醐味の味わえるアップテンポな曲。英語、イタリア語ときたのでドイツ語の曲もというわけではないがもう一曲、雰囲気の違う静かなシューベルトの「Die Nacht -夜-」という定番中の定番の名曲も入れることにする。これで7曲、あとスタンダードなものの中からもう一曲、前からやろうやろうと言っていた「ホーム・スイート・ホーム」(はにゅうの宿)も入れることにする。原語は英語だが映画「ビルマの竪琴」で有名になった日本語での「はにゅうの宿」が良いと思う。最後にクリスマスソングだが、これはアンサンブルとのアレンジを考えたり、他のコーナーの出来次第で伸び縮みさせるつもりなので今はまだ決定せずにもう少し待つことにする。
というわけで9月6日の銀座での打合せの後、すぐに以上のようなことを考え上げ、9月中の練習で全て渡せるように作業開始する。最初はよく知っている日本の歌などが取っ付きやすいと思うので、直近の13日の練習には日本の歌を揃えてゆくつもりで、まずは楽譜製作。久し振りの「Finale」(楽譜浄書ソフト)を引っ張りだして、女房の書いた手書きの楽譜を元に打ち込んでゆく。以前からキーボードは使わずにマウスでクリックしながら一音一音張り込んでゆくのが癖だが、楽譜浄書の作業で、僕が一番面倒くさいと思うのは音符や歌詞の入力ではなくて、その後の表情記号、特にフレーズ用のスラーやアクセント、「crescendo」や「a tempo」など表情テキストなどの微妙な配置と、ページレイアウトだ。特にページレイアウトはその曲を何ページに納めるかといった問題から、見やすく読みやすい音符の玉の大きさや、小節の配置などの微妙な調整で時間を食う。でもこれらの作業は大分手慣れているし、Finale自身もヴァージョンアップで進化しているので以前に比べたら大分スピードアップしてきた。各々の楽譜の上の右端に整理用の書類名を、一番下のセンターにはフッタとして、「2005@ i Maturi」とコピーライトを入れてできあがり。何度か印刷しながら微調整をして決定版を作り、別のMOに保存し、一枚インクジェットで精細に印刷する。これをコピー元譜としてクリアファイルする。
次の日は一日かけてMD用の録音をする。この作業もコンピュータの進化で非常に楽にはなった。レッスン室にあるラックのCD-Recorderにマイクを繋げて、ピアノと歌をCD-Rに直接録音する。そのCD-Rをコンピュータに入れ、「Sound it !」というサウンド編集ソフトで加工、切り貼りし、「Toast」というCD複製ソフトで各パートごと、順番ごとに整理してCD-Rに焼き直してゆく。それを再びレッスン室のCD-Recorderに入れ、そこからやはりラックのMD-Recorderにデジタルでコピーしてゆくという工程です。
この中で一番時間の掛かるのはまず何と言っても録音作業。一つの曲に関して、カラオケ状態で練習ができるようにとピアノ伴奏だけの録音を取り、今度はそのパートの歌の部分を音取練習できるように、1番から3番までとかを全部のパート分、僕が歌ったものを録音するのです。例えば「椰子の実」ですと1番から3 番、それにコーダ部分まであるのをテノール1、テノール2、バリトン、バスと音、言葉を間違えずに歌い、最低16回というか16番以上、コーダを4番と考えるとなんと20番分以上歌って録音します。僕も歌い手のわりには音程やリズムなどはしっかりしている方ですが、男声合唱の4パートを上から下までうまく録音するのは至難の技です。特にバスやバリトンに関しては、いくらマイクを近づけても低い音が出ないので、録音して聞いてみると「シャー」という息の音しか録れないのです。バスさん、バリトンさん、ごめんなさい。
大変な録音作業ですが、今回もっと時間の掛かったのが最後のCD-RからMDにコピーする作業。コンピュータで今はCDのコピーは8倍速から24倍速とか言ってすごく早くできます。しかしMDはそれができないのです。CD-RecorderからMD-Recorderへのコピーはいわゆる1倍速、音楽の時間だけ掛かるのです。これはどうしようもないので、古いラックのCDプレーヤを引っ張りだし、さらには電器屋の閉店セールに飛びこんでMD- Recorderの安いのを見つけて来て、ダブルで作業できる状態にしました。それでもMD一枚に日本の歌3曲に「はにゅうの宿」を加えての4曲。ピアノ伴奏、歌を合わせて16トラック、約40分以上である。ダブルで作業するので4パート1組(4枚のMD)ができあがるまで、約1時間半。
CD-RとMDを取り換える作業の合間にはMDのラベルを作成して印刷さらには張り付け。まさに突貫という感じで家に籠って3日連続の午前3時様の作業。 13日の練習日までにクリアファイルに入った楽譜6部と歌詞テキストが20組。それにMDも各パートそれぞれ6枚づつで計24枚できあがり。練習の後の六本木の焼酎は美味しかったが、まだ今月中に残りの曲目の楽譜、MD作りが待っている。あーあー、あああ!
骨折で人生初めての入院生活をしている94歳の母親を娘と一緒に見舞いに行った3日後、9月最初の週末、その母親を再度大月の市民病院に見舞いに行きその足で小淵沢の山小屋に行く。
8月の合宿で使って以来、いくつか修理等のポイントがうかんできたのでその修理計画を立て、うまくいったら早速作業を始めたいと思った。
とりあえずは作ったばかりの大げさな作業台を始め、小屋の裏に移動しただけのガラクタを選り分けて捨てるものは捨て、戻すものは戻さなくてはと思う。
一つ一つ見てみるとほとんどが捨てても問題ないものばかりである。作業台だけはベランダに戻すべきかとも思ったが、その大きさはやっぱりじゃまであるし、こうやって小屋の裏の外壁に沿って立てておくとその下の部分だけでもちいさな物置スペースになりそうなのでそのままにしておくことにする。なまけものである。
考えている作業は二つ、物置と玄関前だ。急を要するというか一番最初に修理したいのは、車を降りてから玄関のベランダに付いた階段までのアプローチを整備することだ。車からは下りのアプローチになっていて、階段前のスペースは一番低くて地面が丸出しなので、いつも湿っていて履物が泥だらけになり、玄関回りが汚れてしかたがない。計画としては階段前のスペースの水捌けを良くするために、少し土を取り除いて、そこに砂利や石塊などで何十センチかの層を作り。その上に飛び石のような石板を並べるかして階段前をきれいにする。そこから車まではやはり同じ様な飛び石か、枕木かを間隔をおいて置いてゆき、靴が汚れないで歩けるようにするというものだ。
物置は地元のホームセンターに並べてあるものを買うつもりだったが、納期や設置日付の打合せとか、東京から来るのを考え合わせなくてはならない分、面倒くさく決めかねていた。しかし山に来てしまうといつもめらめらと大工作業意欲が湧いてくる。山に着いた足でお得意のJマートに寄って眺めていたら日曜大工 (DIY)の雑誌から面白いものを見つけた。手作りの物置小屋の設計図と作り方の記事だった。これを作ろう。寸法でいくと大分大きくて、材料費だけで8万円ぐらい掛かってしまうので、この設計図の寸法を縮小して少し小さなものにして材料ももうちょっと安いものを探して作ってみよう。
そんな事を考えながら次の朝、夏の落葉掃除のときに手伝ってくれた兄に電話すると、いま畑にいるということなので、さっそく行ってこの間のお礼方々また協力をお願いすることにする。
まず物置について兄に提案してみると「僕等も大工の息子だから、この程度のものは作れるだろう、やろう、やろう」という事になり、サイズ縮小の設計図を僕がまず書くということに決まる。
打合せをしながらの遅い昼食の後、玄関前修理のための材料を漁りに3人で諏訪まで出かけることにする。地元のJマートもかなり充実していて問題ないのだが、諏訪のインターの近くの大きなお店がたくさん集まっているバイパスの辺を探訪してみたいというお義姉さんの意見を入れて繰り出すことにした。
諏訪では当てが外れてJマートが無かった。しかたないので「ケーヨーD2」で焼レンガ20枚、撒き砂利2種類6袋、それにテラコッタ風の敷石板を8枚買う。これで大体足りるだろうという目算だが、材料が足りなくなった時、Jマートになかったらまた諏訪まで来なくてはいけないかもしれない…と少々、気にはなったが、大体が一生懸命やっても一季節過ぎると土中に潜ってしまったり、落葉が堆く溜ったりと細かくはあまり気にはならない場所なので、少々形や色が変わっても問題ないだろうと思うことにする。
お義姉さんが今年から始めると意気込んでいる「スノーシュー」などを扱うアウトドア専門店「モンベル」の大きなお店を興味深くみんなで覗いて満足して小淵沢に戻る。
うちの山小屋の近くにできたばかりの本格中華の店で夕飯。本格中華というにはちょっと料理が家庭的過ぎる感じだが、なんとここには紹興酒のカメが常備してあり、ヒシャクでグラスにたっぷりとついでくれるのだ。なんと幸せなことか! 実は僕は紹興酒カメ酒の大ファンで、ワインが無くてもカメの上澄みがあれば天国なのだ。山小屋からこんな近くにこんな所を発見したのはうれしい限り。お店が早々とつぶれないでなるべく長持ちしますようにと、上澄みを舐めながら祈ってしまった。大満足の一日だった。
ベランダに買ってきた材料を積み上げて、明日雨が降らなかったら、兄と二人で玄関前の作業に入る約束をして別れる。夜半の天気予報は台風の影響での大雨を予想していた。兄が忙しくてこの週末つかまらなかったら、一人でゴルフでもして帰って来ようと、明日の朝一のゴルフ場も予約だけはしてあった。今年始めから変わり始めた「晴れ男」のラックにかけたが、やっぱり朝起きてみると外は真っ暗の大雨状態。ゴルフ場と、兄の所と両方ともキャンセルの電話をしてもう一度ベッドに潜り込む。9時すぎに起きても雨の勢いは増すばかり、台風の影響だという。あまり降ってしまうと帰りの中央高速も危ない。あきらめて部屋を掃除しごみを積んで、昨日買ってきた材料にはシートをかけて退散する。通行止め一歩手前の大雨の中では、大月で降りて母親の顔を覗いてからというのも諦めて、一目散に東京まで駆け抜けた。今度山に行けるのはいつになるのだろうか、なんとかして9月中にもう一度行って玄関前をやりきらないと。
春先から始めた新しい男声合唱団ついに名前が決まり、12月には演奏会も開催することになりました。
名前は「マトゥーリ男声合唱団」、Maturo(マトゥーロ)は「熟した」「成熟」「熟練」「分別」という意味のイタリア語。maturus(熟した、実った、時宜を得た)というラテン語が元で、果物やチーズ、ワインが熟するといった意味もあり、今回 i Maturiと複数形にして「熟達者たち」の意味を込めました。また普通にローマ字風に読むと、Maturi =「祭り」とも読めます。人生の熟達者たちが熟成したワインを傾けながら、祭のように和気藹藹と合唱を楽しむ、いい名前ができました。どうぞよろしくお願いいたします。
さっそく活動開始とばかり、昨夜は銀座のワインバー「HIBINO 1882」に中心メンバー7名が集まっての打ち合わせ。夏の合宿の時にやろうと言い出した12月の演奏会開催をさっそく決定。会場はクラシック音楽雑誌「音楽の友」社の「音楽の友ホール」、日時は12月19日(月曜日)19時開演。
いざ決定してみると、すぐにでもやらなくてはならない問題が山とあることに気づき、さっそく概要、曲目、広報、団員募集などなど一つ一つ真剣に討議を重ね、担当者などを決める。しかし実際の演奏会の曲目選定や、衣装などの楽しい話題になってくるとみんな声が大きくなって目が輝き、あたかも少年時代のいたづら小僧のような表情を見せてくれ、とても楽しい打ち合わせになった。
肝心の演奏会の内容は、今からの練習に残された期間を考えて、合唱の演奏に50〜60%の時間、曲数的には約10曲ほどとし、残された時間を私のソロステージ、弦楽アンサンブルを伴ったクリスマスコーナー、MCなどに当て、全体的に心暖まる楽しいステージにしようということになった。
これらの決定を受けて私としては、今月中に音楽ラインナップを最終的に決めた上で、練習用のテープを全曲分作りあげなくてはいけないという大きな仕事をすることになってしまった。
音楽の友ホールは客席数224席でステージもそれほど大きくはないのだが、各パート6人から10人の総勢24から40名ぐらいにして、カッコ良く演奏したいと思う。
さあ、新しいメンバーの募集も含めて熟達者たち、「マトゥーリ」の挑戦が始まります。どうぞ、御期待下さい!
女子プロゴルフ応援を予戦ラウンドで打ちきって土曜日の夜遅く、軽井沢の友人邸から女房と二人で小淵沢の山荘に。
一週間後に合唱団の合宿があり、我が古き山荘も練習に使うことになり、10数名の仲間が来ることになった。夜暗くなってからだと闇に紛れて誤魔化せるが、夕方明るいうちからの練習なので、すこしきれいにしておかなくてはならない。中の床は昨年張り替えたので残る問題は2つ。枯葉と雑草にまみれた前庭の掃除と、玄関のベランダを綺麗にすることだ。
朝とりあえず一人で始めてみるがとても出来そうにないとわかったので助っ人を探すことにする。
実は大月市内に住むすぐ上の姉がどういうわけかまだこの山荘に来たことが無いというので、今回遊びに来るように誘ってあった。彼女の旦那が手伝ってくれるだろうと思って電話で約束を確かめてみると、なんと旦那だけ用事ができてしまい姉が一人で来ると言う。しかし兄弟が多いというのはこういうときに便利である。姉一人じゃあ楽しくないし車もないだろうから相模湖に住む長姉夫婦を誘ってみようよ..と言って、連絡してみると偶然か、こちらも旦那だけ仕事だと言う。旧盆の最中なのに忙しい人もいるものだと思っていたら長姉が「あたしは暇だから、朝早い電車で行きますよ」との事。はいはい、歓迎させて頂きますよ!
というわけで助っ人探しはどうもうまくゆかない。あと残ったのは実家を継いでいる上兄夫婦か、山荘に一番近い白州町に住む絵描きの下兄夫婦。実家はお盆で忙しいから無理。結局、合唱団の合宿のペンション探しでもお世話になった絵描きの兄さんに電話すると、今夏祭りで東京からお客さんが来ているが午前中で帰るので、午後には手伝いに来てくれるとの事。やっぱり持つべきものは兄弟だ!
その兄が午後3時近くに来てくれて作業開始。朝から一人で頑張って庭の雑草を下刈したので、その延長でまず積もり積もった枯葉を一ヶ所に集めて山にする。兄は畑を持って野菜などを栽培しているので、枯葉などの腐葉土が欲しいから、とりあえず山にしておけば後でもらいに来るからという。
しかし前庭から山荘の側面、さらには裏の敷地一杯を掃除するとなるととても大変な作業になるので、とりあえず前庭と側面の前半分だけと決めて枯葉の清掃を二人で無口になる位頑張る。なんとか前庭の土の面が見えてみるみる綺麗になって来た。いくつか作った枯葉の山をひとつに集めて隣との境界の辺に大きく積み上げてとりあえずこの部分は終了。
標高1,150mの地で大汗をかきながらの作業に時間が掛かってしまい、ベランダの作業は今日中に出来そうもないので、とりあえずベランダのガラクタを山荘の裏に移す作業だけすることにする。
去年から始めた山荘の修理、さあやるぞと最初にアウトドアの雑誌に書いてある通りのサイズで作ってしまった大きくて重い作業台が、ベランダの左半分を占拠している。その下には工具から木端からセメント袋などを押し込んであり、またその横にはストーブ用の薪が積んであるので、最初の頃の様な白樺林に面した快適なベランダの空間が無くなっている。
今回はこのベランダ全体が雨風に晒されて汚くなっているので、綺麗にして防腐、防水の塗装をしてみたいと思っている。最初にベランダ上を空にする。重たい大きな作業台を2人でやっとのことで裏まで運び、山荘の壁沿いに放置する。その回りに残りのガラクタも移動して積み上げる。兄の考えで薪は見栄えよくベランダの床下に積む。
作業台や工具などは合宿が終わったらまた屋根の下に戻さなくては使いものにならないので当座の処置である。少し大きめの物置を作るか、買うかしてそのへんの収納も考えて行かなければならない。大体今時の別荘や山小屋などはみんな基礎のコンクリートを高く立ち上げて高床にしてその部分を収納などにあてているのが普通だが、この山荘を建てる時に自分が忙し過ぎて業者に一任してしまったのが今になって響いている。
お盆時の貴重な時間を頂いて手伝ってもらった兄には、ゆっくり夕食を食べていってもらった。
久し振りの肉体労働と涼しい山の気候にすっかり熟睡。
気持ちよく起きた次の日。塗装用品を買いにさっそく長坂町のJマートに行きたいが10時までは開かないので何回も往復にならないようしっかり買うもののリストを作る。
10時近くなって相模湖と大月の姉二人が電車で小淵沢に着くので、車で迎えがてら僕だけJマートに降ろしてもらう。
塗装に関してはあまり勉強してないのでJマートの店員さんに聞くつもり。塗料のコーナーで店員さんを探していると、すぐ近くで学生っぽい、それも高校生ぐらいの感じの男の子がなにやら作業している。アルバイトだとあまり分からないだろうかと思ったが、他に人が見当たらなかったので声をかけてみた。そしたらびっくり、この子が本当によく知っていたのだ。僕の質問に塗料の選び方、塗り方から刷毛の使い方まで本当に立派に助言してくれた。木部用防虫、防腐塗料の定番と言われる「キシラデコール」と刷毛、ローラーを購入。その他にバスルーム用の桧のすのこ、洗面台のタオル掛け2個、鏡の横につける収納用飾り戸棚、それに撒水用のホース+蛇口キットなどなど買って山に戻る。belanda01早速二日目の作業開始。まず外の水道からホースを回してベランダ全体に強い圧力の水を掛けて洗う。その後、デッキブラシでベランダの床をゴシゴシと擦ってもう一度水を掛ける。ぞうきんを何枚も使って水気を拭き取って行くがなかなか取れない。
お昼近くなったので姉達と昨年できたという近くの中華料理の店に昼食に。山で飲む昼間のビールは最高。
帰って来て作業再開すると下の姉さんからクレーム、「塗装する面は水洗いだけじゃなくて、やすりを掛けてもっと綺麗にしてからやるんじゃないの?」おっと、確かにそうだ。でもやりたいけど今回は時間がない。次回、あまり期間をあけないでもう一回塗り直す時にサンダーを使って色が綺麗に出るようにやりなおそう….そう決めて今回はこのままで塗装することにする。
女房と姉達は小淵沢のアウトレットへ出かけ、少し待つとかなり乾いてきていたので、さっそく塗り出す。色を均一にしたいのでよく塗料缶をかき混ぜてからローラーで大胆に塗ってゆく。床面なので、最後にどう足を逃がしながら全面塗るかというのはしっかり考えてからやらないと手が届かなくなったり、塗った部分に足跡を付けるはめになったりするので大変だ。
ベランダ全てを塗り終わってみると、建物全てがなにも塗装してなかった生のログ材なので、ベランダからどんどん外へと色を着けて塗ってゆきたくなる。本体の壁などは面積も広いのでとりあえずしかたがないが、ベランダの手摺りと、階段、それに正面ドアの枠あたりが、床を塗ったためにかえって汚れが目立つようだ。
これはやっぱり手摺りと階段、ドアの枠は塗らなくてはと思い、残った塗料、キシラデコールの「ウォールナット色」を手摺りの一本に塗ってみるがあまり綺麗ではない。
ピン、ポーン!頭でアイデアが弾けた。室内の床の色よりも暗いウォールナット色のベランダの床にはグリーンの暗いのが絶対合う!
アウトレットから帰ってきた車を借りてすぐまたJマートまで。あった、あった、同じキシラデコールの「タンネングリーン」。床は面積がかなりあるので3.4リットル缶だったが、手摺りなどにはそんなには必要ないと思って1リットル缶を2つ買ってくる。
山に戻ってみると姉達がもう帰ると言う。昼飯を一緒に食べただけで、あとはなにもできなくて申し訳ないと思ったが、少しは彼女達も息抜きになったようなので許してもらう。
結局、僕は小淵沢の駅に見送りにも行かずに塗装に夢中になっていた。
だいたいこの日の天気予報では午後から大雨の予報だったので、なんとなく作業が、あ、まだできる、あ、まだできる…という感じで後々になってしまっていて手摺り等の塗装を決断したのはもう夕方に掛かっていたのだ。
手摺りを半分ほど塗ったところで遠くに離れてみると、自分の暗緑のアイデアがすっかり嵌まっていて有頂天になった。
最後の工程ではもう回りも暗くなってきてベランダのライトを点けての作業になった。作業終了午後7時半。手から足からTシャツまで塗料だらけになっていた。
明日の朝、太陽の下でどう見えるか楽しみだ。
すっかり雨男の返上に自信を持った僕は、夜半の雨も気にしないで、早朝5時半に目覚めてシャワーを浴びゴルフウェアに着替えてすっかり臨戦態勢。「大丈夫かな、雨?」とか言いながら渋々起きて来たY氏を急がせて二人で納豆ごはんをかきこむ。西コースに着いてみると係の人が2、3人いるだけ。バッグをカートに積んでもらって早速スタート。
まだ6時半過ぎである、体も頭も半分以上眠っている状態でまっすぐ飛ぶはずもなく、案の定まるで初ラウンドの初心者のように右に左に駈け回る。ゴルフ場まで3分と近過ぎるのも考え物だ。
駆け回ったのが良かったのか4ホール目ぐらいからなんとか方向性が出てくる。昨日の久し振りのラウンドでうまくいかなかったポイントを考えて、左の肩を高く柔らかく構えて、左の壁で詰まらないようにフィニッシュを心がけはじめたら、ドライバーがすっかり見違えるように直って、バック・ティーから打ってほとんどIPポイントの旗の周りに集まるようになって乗ってきた。
あとはパットだが、これも速いグリーンで慣れていた打ち方が、微妙なところでインパクトの無い擦るような打ち方になっていしまっていたので、直せると思ったのだが、頭で直すだけではまだ2、3回ごとにミスをするので、もうちょっとラウンドを重ねないとスコアは戻って来ない。
9ホール終わってまだ8時ちょっと過ぎたばかり、これから後ワン・ラウンド位回るとすっかり調子が戻りそうなので続けて行きたいが、ここは男の約束、昨日の負け分の半分ぐらいをY氏から取り戻したので良しとして、山口プロのスタートが迫るトーナメント会場の北コースに向かう。車を近い駐車場に移動してそこから歩いて急ぎ、入口付近の混雑をプロから頂いたファミリー・パスの威力でクラブハウスを通り抜け突破。
ちょうどスタートの一番ホールに着いたとき山口プロの名前がコールされて、ティーグラウンドに上がるところだった。
「ナイス・ショット!」、我々二人の来ているよ!という主張を込めた声に乗ってボールははるか彼方のフェアウェイ上、やや左のベストポジションに。さっそくプロ達はフェアウェイを歩きだす。一方この組に付いて回る我々を含んだ10人ほどはロープの張られた外を並んで歩きだす。
いろんなプロを探しながらあちこち飛び回ったり、あるホールで待ち構えて定点観測したりと観戦のしかたは様々だが、今回のような一人のプロに付いて18ホール回るのは初めてなので面白い。
びっくりしたのはプロ達の歩きかたの早いこと。僕等も自分達がラウンドするときの歩き方には気を付けてリズム良く早く歩こうと思ってはいるがなかなか彼女達ほどには歩けない。このへんを見ただけでも、ゴルフがまさにスポーツで、鍛えられた足腰が必要なものだとはっきり理解できる。
2アンダーでスタートした一番ホールでいきなりバーディー!幸先の良いスタートにY氏は「あのバーディーに僕の料理のエネルギーが貢献したと思うと毎年やめられないね!」と入れ込む。
2番ロングホールは3人ともスリーオンしてのバーディチャンス。山口プロのファーストパットは横を通り過ぎて1.5mもオーバー。最後に慎重に狙ってしっかりパーセーブ。
2 日目のビッグスコアのきっかけにしようと狙ったんだろうね?というのがアマチュア二人の感想だったが、後で本人に聞いたら「特別狙っていったわけではないんですが、インパクトが強く出ちゃったんですよ、あれで3パットしていたらプッツンしてたかもしれません」。我々が考えるほどイケイケの雰囲気ではなかったようだ。
その後、堅実にプレーを続けて行くがバーディーパットが入らないうちに、少しづつ我々にも分かる感じでショットの切れが無くなってきた。
一方やはり一番ホール、バーディで発進した同伴競技者の大場美智恵プロが素晴しいプレーを展開しはじめていた。朝のティーショットから一貫してすごく気持ちよさそうにスイングしているのが印象的だったが、難しい6番のあと、9番でも確実にバーディーを取って5アンダー。一方相性が良いとY氏が言った通りの8番でのバーディの直後に9番で痛恨のボギーを叩いた山口プロは3アンダーでの前半終了。
折り返しての後半、インの9ホールで、二人の明暗がはっきり分かれた。ふっ切れたショットをしながら全然ミスの無い大場プロはただ来るチャンスを待っていれば良かった。全てが噛みあいだしているのがロープの外からもはっきりと見えた。体全体にオーラのようなものまで感じられる。13、14、15、16と4連続バーディ。それも16番は2オンしてのイーグル逃しのバーディーで、この日だけで7アンダーである。こういう状態の人と一緒に回るのも一種のバッドラックかもしれないと思った。
山口プロも後半はショットが戻りだし13番ロングでバーディー。しかしぴったり大場プロについていけるかと思った14番でなんとドライバーを左にミス。木の後で打てずに出すだけで3オン。結局ここでも9番と同じ様に大場プロのバーディに対してボギーを叩いてしまった。
17、 18と二人ともスコアを伸ばせず終わって大場プロが9アンダー、山口プロが3アンダーでフィニッシュ。予選突破は問題なくクリアしたが結果的にこの日トップは15アンダーまで伸ばしたので優勝争いにはちょっと遠い位置に終わったのがかなり残念だ。しかし今日は71で回ってスコアを伸ばしているわけだから別段悪いラウンドだったわけではない。
ほとんどのプロ達がこういう高いレベルで戦っていて、スコアが動き順位が上下するのはほんの微妙な流れや、ラックなどからだと思うとつくづく難しい競技だなと思う。大場プロのような理想的なラウンドをした後でも、それが次の日のスコアを保証するものではないというのをみんな知っているから、ラウンド後にもみんな憑かれたように練習をするんですね。
