團先生が2001年に亡くなられてから、その残された資料の整理をと「團伊玖磨アーカイブズ」が組織されたが、そこが力を注いで制作した「團伊玖磨合唱作品集」CDの第1弾「長崎街道」が遂に完成し、発売される。
詩人・辻井喬との出会いから生まれた連作「日本の道」シリーズは、合唱曲としては異例の、朗読、ソロ・ソプラノ、ソロ管楽器を加えた斬新な編成で新境地を拓き、その中でも「長崎街道」は「木曽路」、「紀州路」に続く第三作として、1986年に作曲された珠玉の作品である。
CDの収録は、2008年6月12日、東京・津田ホール、朗読:小林一男、ソプラノ・ソロ:澤畑恵美、フルート・ソロ:大和田葉子と、團先生と関わりの深かった演奏家に、永井宏指揮の国立音楽大学合唱団を加えた布陣でのライブ録音!
日本作曲家専門レーベル「スリーシェルズ」(http://3scd.web.fc2.com/)にて現在、先行発売中!(正式発売日:3月18日)

18時45分の開演時間が迫って来た。本番では合唱指揮の他に、司会進行や独唱もしなくてはならない。
自分のリサイタルの時などには、前もってトークの内容を考えたり時によってはしっかり台本を作っておくのだが、その辺の作業は今回最後に回してしまったので時間が届かず結局ソロのための準備もトークの準備もなにもできない状態で時間が来てしまった。
開演の本ベルが鳴って、一人一人に「頑張ろう!」と声を掛けて、緊張の面持ちのメンバーを舞台に送り出す。
指揮者登場してオープニングはシューベルトの「Die Nacht -夜-」である。本来はア・カペラ(無伴奏)の曲、ピアノの伴奏を薄く薄く入れて「Wie shoen bist du –」と歌い出す。男声合唱の一番の特徴である柔らかくて深みのある自然な倍音が広がって一瞬にして別世界となる。いいスタートだ。2曲目、こんどは一転して、激しく音のぶつかりあうアメリカの新しい合唱曲「Let All Men Sing」でバクバクに緊張した心臓から大声を張り上げる。
緊張したオープニングを終えて、震える声で僕があいさつ。そして団員紹介へと進む。
最初はバスとバリトンを、六本木にみんなびっくりの巨大看板を掲げたキャパサイトの仕掛け人、吉田氏(マークス社長)に紹介してもらう。
今夜おしゃべりをお願いしているのは、吉田氏の他にもう2人いる。音楽ナンバーは前もってタイムを大体計っているので計算できるが、おしゃべりというのは正直言って計算できない。かく言う僕が、舞台でのおしゃべりが時間どおりに納められなくていつも延びてしまう張本人なので、もちろん他人のおしゃべりも大体お願いした時間で収まるはずがないとは思っている。
という訳(?)で吉田氏にはかなりはっきり「遊びすぎないで、すーーっと喋って下さい」とお願いして、ポンポンと紹介してもらった。そのマイクを頂いて僕が次の曲を紹介。
「日本の歌・海の歌3部作」と称してピアノ伴奏を務めるうちの奥方が編曲した浜辺の歌、椰子の実、それに九十九里浜の三曲を歌う。
女の声で歌われることが多いが、男の合唱で歌う浜辺の歌もいいものだと感じた。心暖かく椰子の実を歌って、最後は雄壮な九十九里浜。途中の転調が激しくて、我が団のソルフェージュ能力では習得に時間がかかりすぎるので、真ん中の部分をテノールソロにして合唱でサンドイッチにした。ソロを務めるのはお医者さんで、立派なテノール歌手でもある八反丸氏(ペインクリニック八反丸院長)。彼はここ何年も続けて、柔道の日本選手権大会が国技館で行われる時に「君が代」の演奏をしている。今回は、病後の体調の戻らない中での参加となったが立派に素晴しいソロを務めてくれた。
続いてのテノールの2パートの紹介はワインの専門家で我が団の渉外やメンバー拡充に大活躍してくれている橋口氏(ワイン・パートナー社長)におしゃべりを。吉田氏ほどには時間短縮のお願いをしてなかったので、一人一人丁寧にご紹介頂きたっぷり時間を使って頂いた。
楽しいトークに続いて前半の最後は、みんなの思い込みの激しい歌をということで「はにゅうの宿」とヴェルディの「ナブッコ」。ちょっと心配していたとおり「はにゅうの宿」は思い込みが過ぎたと言うか、ちょっと焦点のボケた演奏になったが、次の「ナブッコ」が溺れやすい感情を少し抑えての格調高い演奏となって、前半をとてもうまく締めくくってくれた。休憩15分。
前半をわりとうまく演奏したメンバー達の顔には余裕の笑みが出てくる。これからは僕の方が大変なのだ。急いで(建物の外を通って..!?)楽屋に戻り、上着を着替えながら、付け焼き刃の発声練習を「あー、あー、あー」とやるが声はひっくりかえったままである。しかたない、なんとか歌えるだろう..と、また急いで(建物の外を通って..!?)舞台袖に戻るともう後半の開始である。
後半最初はソロのコーナー。マトゥーリが初めて榎坂スタジオで練習をしたのが5月だったか、あまりに人数が少なくパートもバラバラでハーモニーにならないので、くにたち音大での歌の生徒2人、守部君と清水君を誘って助っ人に来てもらった。その2人が合宿から今回の演奏会までずっと参加してくれ僕的には大変助かった。そこで、まだ2人とも舞台経験がないので、ソロで歌う時間を演奏会の中にいただくことにした。11月の大学の発表演奏会でこの2人があるオペラの2重唱を歌っていたので、それを今回もと思ったが、やはり勉強になるようにと1人づつのソロにしてもらった。伴奏は、やはり僕のところで4年間伴奏をしてくれていたピアノ科の福田さん。オペラっぽいコーナーにしたかったので、クリスマスの曲用にお願いしてあったヴァイオリンとチェロの、こちらも奥方の桐朋学園の生徒2人に加わってもらい、「カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲」から始まり、バリトン2人の初々しいアリアの演奏や、僕のおしゃべりと歌2曲でコーナーを締めくくった。
ここからが今回一番不確定要素の多いクリスマス・コーナーである。ヴァイオリンの中嶋さん、チェロの岡部さんに奥方のピアノが加わってのキャロルのメドレーから始まるが、後にはコーラスのメンバーがリラックスしてポーズしている。舞台の右後と左前にはクリスマスツリーが飾ってある。右後が我が小林家、左前のレーザを発しているのがバスの小栗家のツリー…全て自前、持ち込みである。
メインはリラックスした雰囲気での「クリスマス・トーク」。バスの素晴しい低音の西尾氏に別途台本を渡して、我が団の精神的中心と言うかシンボルと言うか、 70台トリオの赤井、斎藤、三嶋の諸氏から、普段聞けない面白い、貴重な話を引っ張り出すようにお願いしておいた。西尾氏はそんな僕の大きすぎる期待を感じとったのか、本番の2日前の最終練習のあと、急に体調を崩されて、あやうく出演不可能か?という大ピンチもあった。しかしそんな心配も吹きとばして西尾氏は、似合わないトナカイの角を頭にかぶって、片やサンタ・クロースの帽子をかぶった先輩3人に挑んでくれた。結果は本番が一番素晴らしい出来であった。
その後は西尾さんが、同じバスで弦楽器のお店を経営してらっしゃるヴァイオリンニストの小栗氏(バイオリン・レガート社長)を呼び込む。小栗氏は気分良く雰囲気に乗ってくれ、天使の羽根を背中に付けお店の一番高いヴァイオリンを抱えて登場。ビゼーの「アニュス・デイ」を弾き大喝采を浴びていた。
さてここまで来たら大丈夫、あとはフィナーレまで一直線…と、ほんの少し安心してしまったのか、こともあろうプロの僕がここで大きなミスをしてしまった。
ヴァイオリンが終わり、西尾さんのおしゃべりもうまくいってコーナーの最後は、西尾さんの呼び込みによって僕が登場し、アンサンブルを従えての「諸人こぞりて」から「もみの木」の合唱であるが、アンサンブルの前奏から合唱が歌い出すというところで数え間違えてアタックを出せなかったのである。みんな唖然としていて2、3人だけが正しく歌い出した。一瞬「やりなおそうか?」と頭によぎったが、今までの経験から、何もなかったように続けて行くのが良いと判断し、そのまま続ける。一番の後半からはみんなやっと付いて来て、2番になるとそのもやもやを吹きはらうように大きな声で歌ってくれた。ああー、びっくりした!
あとは何もなかったかのように「もみの木」を歌い上げフィナーレの「シェナンドー」を残すのみになった。
団が結成されてからずーっと団の歌「団歌」を探し続けているがまだ見つからない。そんな中で最初からみんなが大好きになったのがこの「シェナンドー」である。アメリカの民謡ではあるが、とても心懐かしいメロディーと男声のハーモニーの雄大さを楽しめる曲であるためいつも練習の最後に歌って終わりたい曲であった。それゆえにこのファースト・コンサートでも最後に残しておいた。今日舞台に上がってくれた全員が歌う楽しさ、歌う喜びを体中から発散させて歌い酔って大成功のプログラムを終えた。
挨拶させていただき押しつけのアンコール「赤とんぼ」を歌ってもみんな帰る様子がない。演奏会に参加したのは舞台上だけでなく、今日来てくれたお客さま達もその仲間だと、みんなで「ふるさと」を大合唱しての終演。時計は制限時間を大きくこえて午後9時を回っていた。
超過料金のことはとりあえず忘れて、来てくれたお客様を引き連れて神楽坂を下った打ち上げ会場へと急ぐ我々には第一級の寒波も心地よい涼しさであった。
お疲れさま、カンパーイ!!
5月の初練習から、月2回の練習を経て夏の八ヶ岳合宿へと。徐々にではあるが増殖を重ね、山小屋での合宿打ち上げパーティーにてファースト・コンサートの計画を全員で決めてからのスタートである。
12月19日、音楽の友ホールを確保し、9月に入ってのそれからは時間との勝負となった。
メンバーの拡充も、演奏曲目の充実もほとんどゼロのような状況からの計画であったため、名前も決まらず当初は「NANASHI男声合唱団」で音楽雑誌への団員募集などもして充実をはかり、コンサート本番の曲目全てを最初から決め、楽譜、練習用MDを配布しての練習開始であった。
9月から10月へと練習回数を徐々に増やし、さらには11月から12月の本番までの間には10回の練習を重ねた。
先週土曜日の最後の総練習でも出演者全員が揃わず、音の取れていない人もいたりという状況でどうなるのだろうかとさすがの僕も心配になってしまった。
でも僕にはある自信があった。それは自分の演奏家としての経験値からくるものであるが、練習の積み重ねは必ず舞台に反映されるという事だ。それを言うなら練習不足こそ舞台ではごまかせないだろうと言われるだろう。たしかにそうである。しかし言いたいのは重々それを認めて、ある程度の演奏の細かいレベルを我慢して頂いたとしても、9月からの20回ほどの練習の積み重ねは、その分しっかり合唱として舞台に反映されるだろうと言う事である。そこに自信を持とうと言いたいのである。
また練習不足の人達にも、その少ない機会に、この歌、その歌の一番大切な所は伝えてある。しっかり憶えていない人は、みんながこう歌いたいんだという雰囲気をしっかり感じてもらっているので大丈夫である。それとまだ総勢21、2名の合唱であるから、おのずと「口パク」や「並んでいるだけ」というメンバーはありえない。まさに一人一人の声がこの合唱団の響きを構成していて、一人も手抜きができない状況である。つまり合唱団が先にあって各々がそれに参加するのではなくて、各々一人一人の歌、声があってそれが集まった結果がマトゥーリ合唱団であるしマトゥーリの響きになるのである。まあともかくも何もないところからの最初とはこうも言い訳ができる気楽さがある。
さて今年一番の大型寒気団に囲まれた19日の月曜日、神楽坂の音楽之友ホールだけは熱気が充満していた。いよいよ我らが「マトゥーリ男声合唱団」のファースト・コンサートである。
暮れの一番忙しい時にもかかわらず、この日だけは午前の11時に集まってもらった。突貫工事ではないが土曜日の最終練習でできなかった一番大事な音楽練習を、まずは確保したかったからである。音楽の友ホールは最近のホール事情から言ったら少し地味であろうか。しかしそのかわり我々向きに響きが豊富なので結局は選択としては良かったと思う。豊かな響きの舞台上で最初のハーモニーを確認すると気持ちの良い響きが耳に戻ってくる。13時すぎまで、初めて立ったままで練習する。
一時間の昼食の後は舞台での細かい動き、並び、出入りからおしゃべりやアンサンブルとの合わせ等で飛ぶように時間が過ぎて行く。合間に桐朋学園の学生2人のヴァイオリンとチェロの練習もみんなで聞く。声の音楽もいいが弦楽器の響きも体中が癒されるようでつかのまであるがリラックスする。アンサンブルを含んだ後半部分を通して練習し、その後に前半部分をおしゃべり等も本番のつもりで通して全てのリハーサルを終了。
気がつくともう開場時間間際、ホール・エントランスの方がなんとなく騒々しくなって来ていた。
<この項、次回に続きます!>
マトゥーリ男声合唱団の活動は、声を出して歌う前も忙しい。
12月19日に決めた第1回演奏会は小さめなホール、収容200人ほどなので特別大きなポスターを作って張ったり、チラシを何千枚もバラまいてお客さんを集める必要もあまりない。出演のメンバー達が親しい友達や家族など一人10人ほど集めれば一杯になる。というわけで取り立てて集客にお金を掛けなくてもよいのだが、そこはやはりちゃんとしたホールでの演奏会、チラシやポスターがそこここに出回って何人かでも一般の聴衆が聞いてくれるというのが大事なのだ。
そこで遊び心のある事務局長の板井氏と一緒に、Illustratorを使ってコンサートのチラシ作りに挑戦している。なんとか今週中に作り、来週早々にでも印刷に入れればと思っている。これができれば一挙に演奏会に向けて現実感が盛り上がってくるでしょう。あとは演奏する曲目を一曲一曲マスターして行く。どんな風に演奏会当日を迎えるか今から楽しみである。
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デビューコンサート(12月19日、音楽の友ホール)も決まっていよいよ動き出したマトゥーリ男声合唱団、団員募集もしながらもともかく歌える歌を一曲づつでも増やしてゆかなくてはならない。12月のコンサートではクリスマスコーナーで少し手抜きができるとしても、肝心の合唱の演奏を10曲位はは揃えなくてはならない。
ということでさっそく先週から楽譜作りとパート別の練習用テープ(MD)の製作に掛かりきりになる。
今月中にコンサートで歌う全ての曲の楽譜とMDを揃えてみんなに渡したい。数少ない練習でたくさんの曲を仕上げなくてはならないので、団員個人々々にはMDを肌身離さずに聞いてもらい、早く歌を憶えてもらうためだ。
曲目の内容はあまり高望みもできないが、日本の歌、外国の歌、それに季節のクリスマスソングなどでバランスよく考える。まず日本の歌はうちの奥方の編曲による「海の歌シリーズ」と題した「浜辺の歌」「椰子の実」「九十九里」の3曲にする。みんな知っている曲だし、「九十九里」の豪快なエネルギーが他の2曲の叙情性を引き立たせるのでうまいバランスになる。
外国の歌は歌いたがっている格好いい曲はたくさんある。その中からまず「シェナンドー」と「ナブッコ」を入れようと思う。「シェナンドウ」は春からやってきて夏の合宿で一応できあがっているお気に入り。「ナブッコ」はオペラファンでなくても憧れるヴェルディの名曲、絶対やりたいと言う。あと「Let’s All Men Sing」というアメリカの曲。全米の合唱フェスティバルかなにかの折に依嘱作曲された曲でやさしいわりには男声合唱の醍醐味の味わえるアップテンポな曲。英語、イタリア語ときたのでドイツ語の曲もというわけではないがもう一曲、雰囲気の違う静かなシューベルトの「Die Nacht -夜-」という定番中の定番の名曲も入れることにする。これで7曲、あとスタンダードなものの中からもう一曲、前からやろうやろうと言っていた「ホーム・スイート・ホーム」(はにゅうの宿)も入れることにする。原語は英語だが映画「ビルマの竪琴」で有名になった日本語での「はにゅうの宿」が良いと思う。最後にクリスマスソングだが、これはアンサンブルとのアレンジを考えたり、他のコーナーの出来次第で伸び縮みさせるつもりなので今はまだ決定せずにもう少し待つことにする。
というわけで9月6日の銀座での打合せの後、すぐに以上のようなことを考え上げ、9月中の練習で全て渡せるように作業開始する。最初はよく知っている日本の歌などが取っ付きやすいと思うので、直近の13日の練習には日本の歌を揃えてゆくつもりで、まずは楽譜製作。久し振りの「Finale」(楽譜浄書ソフト)を引っ張りだして、女房の書いた手書きの楽譜を元に打ち込んでゆく。以前からキーボードは使わずにマウスでクリックしながら一音一音張り込んでゆくのが癖だが、楽譜浄書の作業で、僕が一番面倒くさいと思うのは音符や歌詞の入力ではなくて、その後の表情記号、特にフレーズ用のスラーやアクセント、「crescendo」や「a tempo」など表情テキストなどの微妙な配置と、ページレイアウトだ。特にページレイアウトはその曲を何ページに納めるかといった問題から、見やすく読みやすい音符の玉の大きさや、小節の配置などの微妙な調整で時間を食う。でもこれらの作業は大分手慣れているし、Finale自身もヴァージョンアップで進化しているので以前に比べたら大分スピードアップしてきた。各々の楽譜の上の右端に整理用の書類名を、一番下のセンターにはフッタとして、「2005@ i Maturi」とコピーライトを入れてできあがり。何度か印刷しながら微調整をして決定版を作り、別のMOに保存し、一枚インクジェットで精細に印刷する。これをコピー元譜としてクリアファイルする。
次の日は一日かけてMD用の録音をする。この作業もコンピュータの進化で非常に楽にはなった。レッスン室にあるラックのCD-Recorderにマイクを繋げて、ピアノと歌をCD-Rに直接録音する。そのCD-Rをコンピュータに入れ、「Sound it !」というサウンド編集ソフトで加工、切り貼りし、「Toast」というCD複製ソフトで各パートごと、順番ごとに整理してCD-Rに焼き直してゆく。それを再びレッスン室のCD-Recorderに入れ、そこからやはりラックのMD-Recorderにデジタルでコピーしてゆくという工程です。
この中で一番時間の掛かるのはまず何と言っても録音作業。一つの曲に関して、カラオケ状態で練習ができるようにとピアノ伴奏だけの録音を取り、今度はそのパートの歌の部分を音取練習できるように、1番から3番までとかを全部のパート分、僕が歌ったものを録音するのです。例えば「椰子の実」ですと1番から3 番、それにコーダ部分まであるのをテノール1、テノール2、バリトン、バスと音、言葉を間違えずに歌い、最低16回というか16番以上、コーダを4番と考えるとなんと20番分以上歌って録音します。僕も歌い手のわりには音程やリズムなどはしっかりしている方ですが、男声合唱の4パートを上から下までうまく録音するのは至難の技です。特にバスやバリトンに関しては、いくらマイクを近づけても低い音が出ないので、録音して聞いてみると「シャー」という息の音しか録れないのです。バスさん、バリトンさん、ごめんなさい。
大変な録音作業ですが、今回もっと時間の掛かったのが最後のCD-RからMDにコピーする作業。コンピュータで今はCDのコピーは8倍速から24倍速とか言ってすごく早くできます。しかしMDはそれができないのです。CD-RecorderからMD-Recorderへのコピーはいわゆる1倍速、音楽の時間だけ掛かるのです。これはどうしようもないので、古いラックのCDプレーヤを引っ張りだし、さらには電器屋の閉店セールに飛びこんでMD- Recorderの安いのを見つけて来て、ダブルで作業できる状態にしました。それでもMD一枚に日本の歌3曲に「はにゅうの宿」を加えての4曲。ピアノ伴奏、歌を合わせて16トラック、約40分以上である。ダブルで作業するので4パート1組(4枚のMD)ができあがるまで、約1時間半。
CD-RとMDを取り換える作業の合間にはMDのラベルを作成して印刷さらには張り付け。まさに突貫という感じで家に籠って3日連続の午前3時様の作業。 13日の練習日までにクリアファイルに入った楽譜6部と歌詞テキストが20組。それにMDも各パートそれぞれ6枚づつで計24枚できあがり。練習の後の六本木の焼酎は美味しかったが、まだ今月中に残りの曲目の楽譜、MD作りが待っている。あーあー、あああ!
春先から始めた新しい男声合唱団ついに名前が決まり、12月には演奏会も開催することになりました。
名前は「マトゥーリ男声合唱団」、Maturo(マトゥーロ)は「熟した」「成熟」「熟練」「分別」という意味のイタリア語。maturus(熟した、実った、時宜を得た)というラテン語が元で、果物やチーズ、ワインが熟するといった意味もあり、今回 i Maturiと複数形にして「熟達者たち」の意味を込めました。また普通にローマ字風に読むと、Maturi =「祭り」とも読めます。人生の熟達者たちが熟成したワインを傾けながら、祭のように和気藹藹と合唱を楽しむ、いい名前ができました。どうぞよろしくお願いいたします。
さっそく活動開始とばかり、昨夜は銀座のワインバー「HIBINO 1882」に中心メンバー7名が集まっての打ち合わせ。夏の合宿の時にやろうと言い出した12月の演奏会開催をさっそく決定。会場はクラシック音楽雑誌「音楽の友」社の「音楽の友ホール」、日時は12月19日(月曜日)19時開演。
いざ決定してみると、すぐにでもやらなくてはならない問題が山とあることに気づき、さっそく概要、曲目、広報、団員募集などなど一つ一つ真剣に討議を重ね、担当者などを決める。しかし実際の演奏会の曲目選定や、衣装などの楽しい話題になってくるとみんな声が大きくなって目が輝き、あたかも少年時代のいたづら小僧のような表情を見せてくれ、とても楽しい打ち合わせになった。
肝心の演奏会の内容は、今からの練習に残された期間を考えて、合唱の演奏に50〜60%の時間、曲数的には約10曲ほどとし、残された時間を私のソロステージ、弦楽アンサンブルを伴ったクリスマスコーナー、MCなどに当て、全体的に心暖まる楽しいステージにしようということになった。
これらの決定を受けて私としては、今月中に音楽ラインナップを最終的に決めた上で、練習用のテープを全曲分作りあげなくてはいけないという大きな仕事をすることになってしまった。
音楽の友ホールは客席数224席でステージもそれほど大きくはないのだが、各パート6人から10人の総勢24から40名ぐらいにして、カッコ良く演奏したいと思う。
さあ、新しいメンバーの募集も含めて熟達者たち、「マトゥーリ」の挑戦が始まります。どうぞ、御期待下さい!
名前が決まらない名無しの男声合唱団、とりあえず「NANASHI」としておく.8/21(日)〜23(火)の日程で八ケ岳合宿が決まった.早朝から深夜まで歌いっぱなし…というガンバリ系の合宿ではなく、涼しいところで合唱を中心にだが、ゆっくりと美味しいものを食べたり、水に、山に遊んだりしようという計画だ.
初日は夕方、八ケ岳は小淵沢に集合し小さな我が山小屋にて合唱練習、その後全員揃って夕食、泊まりは近くの親しいペンション.
2日目は遊びから、午前中にゴルフorテニスor乗馬または尾白川渓谷ハイキングなどをして遅い昼食.その後清里に移動し、清里の森音楽堂のステージを借りての合唱のメイン練習会を暗くなるまで.そしてペンションに戻ってのバーベキュー・パーティで飲み食べる.満点の星空の下でエンドレスな夜になるでしょう.
最後の3日目はゆっくり起きて帰りの仕度.前日の遊びの続きを頑張る組や.帰りがけに勝沼のワインの里を訪問の組など.三々五々帰路につく.暑い暑い東京を離れて、親しい仲間との涼しいミニ・バカンス.この夏の一番の楽しみだ.
今からでも参加希望の方は受け付けます.合唱の経験不問、初心者大歓迎します.
始めたばかりの男声合唱団の練習も一昨夕で4回目になった。順調にと言いたいところだが、まだ気分よくハーモニーを楽しむだけの人数が集まらないのが残念なところだ。
しかし練習に借りているスタジオの響きがとてもいいのに助けられて、それなりに豊かな響きを感じながらの練習は非常に楽しい。今現在登録している人数は15名ほどで、練習に集まるのが6〜10名、時には4つのパートが成立しないときもあるがそれでも楽しい練習にはなる。
まずは体を使って大きい声を出すという事が文句なしにストレス解消になるし、大きい息を使う事で血が体中を巡り頭の廻りも良くなって食事もおいしくなる。
そんな素晴らしい合唱を楽しもうと思ったらとても簡単だ。まず自分の持っている声にあったパート(高い方からテノール、バリトン、バス)を選んでもらったら、曲のそのパートの歌(メロディー)をゆっくり教えてもらう。隣や前後には自分と同じパートの人が集まっているので、それにまざって少しずつ覚えてゆけばいい。自分は覚えきれなくてもパートとしてある程度覚えられたら、他のパートと一緒に歌ってみる。もちろん他のパートの人達は違う歌(メロディー)を歌うのだが、そんな違うパートの歌が4つの層に重なって一緒に歌うと、そこになんとも得も言えぬ響きの固まりハーモニーが出来上がるのだ。これが聞こえてきたらもう嵌まってしまう事間違いなしだ。
合唱のいいところは自分の声や歌の実力では到底表現できないような歌を本当に自分で歌った気分になれる事です。一人の声は小さくても同じパートをたくさんの仲間とともに歌う事により立派な歌となり、さらにはそんなパートが4つも集まりダイナミックな響きを作ってあたかも自分自身ですべて歌っているように聞こえてくるのだ。
人間の声の響きはどんな楽器よりも素晴らしいものだというのが合唱をやってみればわかるし、自分も世界に一つしかない声のストラディバリウスを持っているというすごい事に気づくに違いない。
そんな声の中でも、男性の声というのは本当に素晴らしい楽器なのです。
人体構成上かどうか知らないが、女性の声は出たそのままの声で響きが薄く一面的であるが、男性の声は非常に複雑な響きをたくさん内蔵したもので、深く、柔らかく、厚い素晴らしい響きを作り出してくるのです。だから男声合唱の曲というのは爾来複雑に凝り固まった曲は出来てこなかった。単純すぎてつまらないようなメロディーでも男声合唱にすると、すぐに歌いながら涙の出てきそうな名曲となって心をとらえるものになるのだから不思議です。
我が合唱団にも、いつでもどこでも仲間が集まったら歌えるような一番のレパートリー曲、つまり「団のテーマソング」みたいなものにしたい曲が見つかりそうなのです。
「シェナンドウ」という古いアメリカの曲だが、メロディーを聞いたら「ああ、聞いた事がある」と言い出すような懐かしいメロディです。これが男声で合唱にするといいんですよね。最初、メロディーをみんなで覚えて、その途中からちょっとだけパートを二つに分けて覚えてもらい、早々と一節だけハモってみたら、みんなの顔に何とも言えない笑顔が浮かんできて「いいね、この曲。たまんない!」と声が上がってきた。
いまこの「シェナンドウ」にみんな夢中で、英語の歌詞にも関わらず奮闘している。
そして昨夜の練習では、ついに最後まで音取りが進み、曲の最初から最後まで全部通して歌ってみたら歌えたのだ。やった、ついに新しい曲を一曲…、いや自分たちの歌を見つけたかもしれない。
練習後のパブではもちろん、新合唱団での新曲一曲制覇で乾杯した。
こんな楽しい男声合唱の仲間にあなたも入りませんか?
僕のキャリアで2つ目となる男声合唱団がついに発足し練習を開始した.
一昨年まで約5年間、一つ目となった100名を越える男声合唱団に関わって、トレーニングと演奏の指揮など音楽部分を一手に引き受けてやって来たのだが、ある事情で昨年その役を下ろさせて頂いた.慣れ親しんだメンバー達との別れは非常に苦しい事であったが、音楽を生業とする者の一人として貫き通さなければならないものを感じた以上どうしようもなかった.音楽家でなくてもメンバーの中には僕と同じ事を感じ団から離れていった人たちも何人かいた.
それからのこの一年、そんな仲間達とよく神田の中華料理屋で紹興酒の杯を重ねて喋りあった.気持ちはみんなよくわかるが、一時は3日と開けずに声を出して練習していた合唱ができない寂しさが僕にはよく伝わってきた.なんとかしたい、早くまたみんなで大声で歌いたい….歌う喜び、歌う楽しさ、を知ったこんな仲間達にとっては長い一年のブランクだったと思う.
そしてやっと再開のスタートが切れました.今度の男声合唱団は、以前の100名超に対して総勢10名から始まりました.都内の小さなスタジオ、夕方6時の約束の時間に着いてみるともう、顔を知った仲間が万面の笑みを浮かべながら待っていてくれました.それから一人、二人と集まって総勢10人になったところで練習開始.以前の仲間が5人、彼らが連れてきた新しい仲間が5人.
男声の合唱は普通声の高い順にテノール1、テノール2、バリトン、バスと、4パートにわけてハーモニーを作ってゆく.
高い声や低い声ばかりが集まっても合唱はできない.おそるおそる各人のパートを確かめてみると、ちゃんと4つのパートに分ける事ができました.テノール1が4人で残りの3パートともちょうど2人づつ納まって初回からしっかりハモる事ができたのです.
よく知っている「ふるさと」や、簡単だが男声のハーモニーの素晴らしさをすぐ感じられる「希望の島」という曲などを、おしゃべりをしながら和気あいあいと練習した.驚くべき事に10名で初めての練習で2曲ともきれいにハモる事ができたのです.
あっという間に過ぎた3時間、スタジオから追い出されるように飛び出し、みんなですぐ下のカラヤン広場に降りて行きパブに飛び込む.歌った後ののどの渇きに、また仲間が集まって合唱を再会できたという興奮とが加わっての、高揚したみんなの乾杯の大声とお喋りを聞きながら「やっと戻ってこれた」と心の中でつぶやいたのは僕だけではなかっただろう.
音楽は、それをする人をきれいに飾り、きれいに見せるような衣装でも、お化粧でもないと思う.
音楽はそれを精進する事によって、音符や声、楽器を通して、その人自身をすべて表に出してくれるものです.僕はそう思って音楽を続けてきました.
この新しい合唱団は、ステージに立った30人なら30人、40人なら40人の全てのメンバーが一人一人、生き生きと自分の生き様を表現できるようになる事を目標としたい.
オペラ歌手、声楽家…になるきっかけは高校時代の合唱だった.団塊世代の中学高校時代は、巨人・大鵬・卵焼き..といわれたが、他にもPPM(ピーターポール&マリー)から始まるフォークソングが流行り、ちょうど高校に入る頃には「高校三年生」の舟木一夫が銭湯の中からデビューしてきた.
野球、陸上と屋外で飛び回っていた僕が中学時代には卓球部に入った.毎日の体育館での練習、我々卓球やバスケットなどの練習が終わるある秋の夕方、静かになった体育館の隅で地区の合唱コンクールに向けて最後の追い込み練習に入っていたコーラス部の歌が流れてきた.それが何とも甘く心に残った.流行り出したフォークソングや、英米の流行歌を聞きかじってはギターを習い始めた親友と一緒になって歌って遊んでいた僕の胸にしっかりと刻まれて残った.
我々団塊の世代のもう一つの代名詞に「受験戦争」があった.割と良い成績で高校にも入ったせいで、最初から受験競争の最前線に放り出されたが、元来あまのじゃくだった僕は気に入らず「進学しないで早く社会に出て仕事がしたい」と突っぱね「就職クラス」に.その時に教育実習で我々のクラス担当となった当時国立-くにたち-音大学生の佐々木先生によって僕の音楽の世界が開かれた事は僕の生涯の分岐点になった.
笑い話だが同じ「かずお」という事で舟木一夫に自分を重ね合わせ、彼の歌を歌って芸能プロダクションのオーディションを受ける寸前までいった.運命の偶然は、すっかり受験気分になっていたそのオーディションの指定された日付が直前にプロダクション側の都合で変更になった事だった.今度はコーラス部の県大会出場のステージと重なってしまって、その頃にはすっかり佐々木先生に信奉していたコーラス部のメンバーの僕としては、泣く泣くオーディションを諦めざるを得なかった.そこから先、佐々木先生からコーラスと歌の素晴らしさを教えてもらい、すっかり音楽の世界をめざすようになり、彼女の母校、国立音楽大学の門をくぐっていった.音大を出、イタリアに留学し、そのままイタリア、ドイツでオペラ歌手として仕事を始めました.
その後帰国して日本で歌うようになったそのデビューがベートーベン「第9交響曲」の独唱者としてであったが、この公演は毎年国立音大のコーラスがNHK交響楽団と共演する暮の大イベントだった.
これも偶然であるが不思議な事に、合唱育ちで、国立卒である僕なのに、この恒例の「N響・第9」のコーラスのステージに学生時代には立っていなかったのである.僕が国立の3、4年生(第9出演は3,4年生)だった時だけN響は、当時活動が盛んだったプロ連(日本プロ合唱団連合-今はもうない)に第9の合唱を任せざるを得なく、国立の学生との暮の第9共演がなかったのである.
そうやって高校での合唱を最後になぜか、合唱とはすれ違いを繰り返してきた僕が、オペラ歌手としての仕事も山を越えはじめた1999年に偶然、ある男声合唱団を立ち上げ、指導する事になった.
このへんの話は長いので、<続く>としてまた改めて書いてゆきます.
今回は新しい合唱団設立である.ともかく理屈なしに自分たちが楽しめる合唱団をめざして練習を始めます.
夏までは月1〜2回の練習で、歌う喜び、楽しさを感じてもらいながら形作ってゆきます.夏ごろの段階で人が集まり意見がまとまったら暮にでもどこか小さなホールをとって演奏会を企画してゆこうと思っています.歌ってゆく曲の傾向もまだ決まっていません、とりあえずは僕のセンスで始めてみますがそれも参加者みんなの意見を聞いて決めてゆきます.
入団、参加の制限は一切ありませんが、男声合唱団をめざしますので残念ながら女性は無理です.何人集まるか、最初の練習はこの11日(水曜日)18:00〜21:00、サントリーホール裏の「榎坂スタジオ」(営団地下鉄溜池山王駅下車・港区赤坂1‐12‐12 Tel.03‐3585‐1313)から始まります.
どう化けるかわかりませんが、ずーっとすれ違いばかりだった合唱と、今回は添い遂げるつもりでやってゆきます.偶然この記事を読まれて興味が湧いた方はぜひ参加して、栄えある創設メンバーになってみませんか?
