声を専門に使う人のためのカンロ「ボイスケアのど飴」、その開発は国立音楽大学との産学共同のストーリ-、「Wのキセキ~カンロ×国立音楽大学~」の再放送が決まりました。
放送・公開時期は下記の通りです。
ANA機内での上映予定
・国内線 2014年11月〜 1か月間
・国際線 2014年11月~ 4か月間(2015年2月まで)
○ANAウェブサイト ANA Media Stationでの公開予定
https://www.ana.co.jp/mediastation/
2014年12月〜 2か月間(2015年1月まで)
昨年の公開時に観そびれた方は、この機会を逃さないでお楽しみください。
いまや口コミから職業歌手達の定番になった「ボイスケアのど飴」、「カンロ株式会社」と我が「国立音楽大学」の産学協同での開発が実ったヒット商品。 その共同開発の模様が全日空ANA提供の番組「Wのキセキ」に取り上げられて、この7月1日から登場します。 カンロの商品開発部の片桐さんと、大学の方は私と、私が指導する大学院オペラ・コースの学生達が実際にドラマ作りに参加して出来上がりました。 放映は: 1)全日空ANAの機内での放送(国内線は1か月、国際線は4か月間放送) 2)全日空ANAのウェブサイト「ANA Media Station」 http://www.ana.co.jp/mediastation/movie/ -訂正- 配信時期は、機内上映より1ヵ月遅れで2か月間(2013.8.1~9.30)の予定。 さらに、 3)スカパー・ケーブルテレビの「フーディーズTV」http://www.foodiestv.jp/ でも放送 (初回は7月3日午前11:30~、その後、1か月間、毎週水曜日午前11:30~、毎週日曜日午後11:00~放送予定) ぜひ観て、感想をお寄せ下さい
梅雨入りも秒読みに入った昨今ですが、明後日のゴルフはどうでしょうかね? Kazuo (携帯から)
今日から3連休。大学も芸術祭週間となり、久しぶりに何日か深呼吸のできる日が続く。
これが終わると大学院から始まる入試のスケジュールがスタートし、また卒業、修了に向けた指導も本格化してくる。
さらには研究所のオペラプロジェクト部門も今年のまとめの演奏会を12月12日に控えて忙しくなる。
夏までわりと頑張っていたゴルフも、紅葉と共にスコアは下降し、やがてラウンドも減ってくる。
いつものことだが、近年はゴルフ以外での体調保持の機会がなくなってきたため、スコア云々ではなく、なんとか日曜日ででもラウンドする機会を作らないととは思っている。
男声合唱団「マトゥーリ」も夏の合宿を経て、今年も12月17日の演奏会に向けて活動しているが、今ひとつ集中できずに日だけが過ぎて行く。来年は海外への演奏旅行を実現すべく話し合っているが、こちらも世界的な金融危機の中で、なかなか2歩、3歩とは前に進んでいかない。
今はじっと我慢の時か…とも思うが、何もせずに我慢では実質何もしないことなので、動きたいのではあるが難しい。
この休みで、心身共にリフレッシュできて、また頭が回転し始めるとなにか動き出せそうではある。というわけで山小屋にもゴルフにも行かず、家でひたすら何かを待っている。
今日は朝から晴れ上がって五月晴れ、やっと連休らしい雰囲気になってきた。
朝の散歩に出るとすぐ近くを走る中央高速高架の下り線のフェンスに沿って車やバスの上半分だけがほとんど止まった状態で都心方向まで連なって見える。
今年は春先に仕事の方が忙しくなったせいで、計画も立てられずに連休に突入してしまった。
4月の中旬には毎年恒例のゴルフ、パブリック選手権の予選に出るべくエントリーしていたのだが、仕事のせいで前日にドタキャンしてしまった。
本来ならその時に仲間と一緒に山小屋に泊まって騒いで一挙に活動的になって連休から夏へ飛びこむのだが、今年は今日のように天気が晴れ渡ってもまだぐずぐず家で書類作りなどしている。
来週は母の日だし八ヶ岳の兄貴夫婦にも会いたいし、なんとかして飛び出そうと思っていたら昨日の夕方、勝沼の従兄弟夫婦から大きな荷物が届いた。
勝沼の葡萄郷を見下ろす絶景の場所で昔から葡萄園をやっているのだが、去年久しぶりに遊びに行って旧交を温め、秋にはそこの長男の結婚式に招待されて歓待を受けた。
それから季節が変わると果物や野菜を送ってくれるようになったのだが、今回は開けてびっくり、ふたつの箱は取れたてのキウイフルーツで一杯。
市場に出せるような大玉のきれいなものともぎたてでヘタや葉の付いた不揃いなキウイがこれでもかと沢山入っている。これで当分我が家のビタミンCは大丈夫。さっそく一つかじってみると、新鮮なスッパさが口一杯に広がり、山の空気や土の香りが一挙に浮かびあがって来た。
もう一つの重たい大きな箱には一升瓶のワインが何本も詰まっていた。昨年夏に仲間たちと押し寄せたときに飲ませてもらった勝沼の白の地ワインだ。
いわゆる我々が有難がって栓を抜く高級なワインと違って、特別美味しいというわけでもなく、香りが良いというのでもないのだが、ワイワイやりながらダラダラと飲むのにはちょうど良い、軽いテーブルワインである。あの時みんなで昼間から騒いで酔っ払って「これ美味しいよね、最高!」などと大声でしゃべっていたのを聞いていて送ってくれたようだ。
しかしこの一升瓶を何本も女房と二人では空け切れない。2本位取って、あとは去年の仲間たちにさっそく送ってあげようと思う。
娘二人は例によって連休に親達などにはつき合ってくれないので、今やっている書類作りに目鼻が付いたら女房と二人、窓から高速の混み具合を見計らいながら八ヶ岳に繰り出す。
ワインの一升瓶を一本、キウイを一山抱えて車に乗る。込具合を見ながら、大月のお袋のところと勝沼には行きか帰りかどちらかで寄ってくる。八ヶ岳の兄夫婦はいつ行っても気持ちよくつきあってくれるので、一緒に蓼科や諏訪の方に遠出するのも良し、去年見つけた山小屋の近くの紹興酒のカメ酒の飲める中華料理屋でダラダラと過ごすのも良し。空いているようだったらゴルフもして体を動かしてみよう。帰りは日曜か月曜か、これも高速の混み具合と天気次第だ。
以上、5月3日連休初日午前11時30分現在
成田のJALを辞め青山で働いていた長女は、昨年暮一杯でその輸入家具屋さんも、自分のイメージしていた職場とは違ったようで辞めてしまった。
そして今は新宿の高層ビルの中のアメリカの化粧品会社に一般職として勤め、昨年のあれは何だったのだろうとおもうくらい平和に家から毎朝通っている。
定時で終わり、土日が必ず休めるというのが、もともと家庭的でおっとりしたところを持つ長女にとって居心地が良いようだ。
が、その分と言うのか、土日はほとんど遊びに出たままなかなか家には帰ってこない。
つきあいの長いボーイフレンドがいて、土日も仕事というその彼の細かい世話をしによく行っている…と女房が言っていたが、どうだろうか。あまり毎週末ごとにかいがいしくされても彼の方も欝陶しいだろうに…と男としては気になって考えてしまう。
「でももう今年中には…」などともっと気になる事を女房が正月から言いはじめて、僕のいないところで長女といろいろ相談しているようだ。(この疎外感は何だ! ブツ..ブツ..)
一方今度大学4年になる次女は、相変わらずクールにマイペースである。
高校に入る時にヴァイオリンを諦めさせて音楽から足を洗ったかに見えていたが、かえって我々親のような堅苦しいクラシックではなく、自分達の同年代の好きなサウンドに目覚めてしまい、ヘビ・メタから始まって、高校、大学通してずーっとバンドの活動がメインだったようだ。
高校最後の年の学園祭ではじめて彼女のバンドのステージを見てびっくりした。確かに絶対的な音のボリュームが大き過ぎて、最初は拒絶反応をおこしかけたのだが、我々の頃の貧乏な、へたくそな、マネ事なバンドとは違って、しっかりしたテクニックで、音楽としても全然真似でなく、主張もあるし、聞かせる所もあって、最後の頃には辺り構わず大きな拍手をするほど感心したのを思い出す。
大学に入ってからはそのバンド活動のリーダー役を自ら買って出て、作曲、アレンジ、歌、ヴァイオリン、ベースなどの演奏から、CDのデザイン、製作、販売、はてはHPも立ち上げてライブ活動に熱中し、かなりメジャーなステージにも立っていて、今や知るところではそれなりのアーティストのようだ。
ただそんな彼女も今は就職活動の真最中である。
夜遅くまで部屋で願書や資料作りをして、朝になるとリクルートスーツに着替えてやれ面接だ、会社訪問だと騒いでいる。
硬い法科政治学科に学んだのだが、どうもマスコミ、出版関係が狙いのようである。一般職狙いといっているので、卒業してもバンドを続けて行くつもりのようだ。
この娘の就職が決まって晴れて大学卒業となれば、一応我が家も目標としてきた大きな節目にたどり着くことになる。
そこにたどり着いたら今度は少し自分達夫婦の長くしまっておいた夢を取り出して眺めて見ようかと思っている。
この間のクリスマスから我が家にまた家族が増えた。
小桜インコの「ルリ」で、まだオスかメスかもわからない。
長く飼っていたセキセイが3月に死んでしまい、寂しがっていた女房が自分の誕生日に合わせて近所のペットショップに予約し生まれたばかりの雛の状態で連れてきた。
初代の「ルリ」は名前の通りきれいな瑠璃色をしたセキセイで、有頂天になるといつも「ルリちゃん、ルリちゃん …!」と自分の名前を言うことができた。
今度の小桜インコというのはあまり物真似はできないと説明を受けたがどうだろうか、また女房が根気良く教え込むとしゃべるかもしれない。
特徴は頬から首にかけてのオレンジ色がとてもきれいで羽根全体の深い緑からの一種日本的なグラデーションが他にはない雰囲気の鳥で大きさもセキセイと同じ位の小型インコだ。
それはよいがこの暮れからの列島を襲った大寒波のまっただ中に、我が家のような夏向きの涼しい(?)家に、生まれたばかりで来たので、ヒーターの入った大きな箱に入れて、ずっと家族と一緒に暖房の効いた部屋で世話をしてしまった。
それでどうも甘やかしてしまったようだ。ほとんど自分を人間で家族の一員だと思っているようで、昼間などもカゴに入れて、階段やベランダなど部屋の外においた途端からずーっと「出してくれ!」とばかりに泣き叫び、カゴの網目をクチバシと足でアクロバティックに飛び回って抗議をして出してくれるまで止めない。
これには家族中が負けてしまい、誰かが「可哀想だから」と言ってはカゴから出してあげてしまう。そうすると餌が欲しいわけでもないのか、すぐに誰かの手の平とか、セータのポケットとかに入り込んで、静かになって寝てしまうのだ。
そんなインコの寝息を手の平やセーター越しに感じながら年賀状の返事を片手で書いたりしていた平和な正月ではあった。遅まきながら今年もよろしく!
昨日の日曜日、今年一番の寒さで目覚めると、天気予報も山沿いは雪と言っていた。
八ヶ岳の山荘、9月末に行ったまま足が遠のいているが、本格的な冬の前に水周りの処置をしてこないと、水道管が凍って破裂したり、トイレが使えなくなったりなど年越しから正月、スキー等で使うときになって大変なことになってしまう。例年だと11月の始めに一日取ってそれらの処置をしにゆくのだが、今年は温かい日が続いたせいもあって延ばし延ばしにしてしまい、ついには12月に入ってしまった。
山は雪になりそうなので、女房の四駆(CRV)を借りて1人で昼前に出かけた。山の方に車を向けると、山小屋の作業の他にもいろいろ溜っていた用事を思い出してくる。大月の実家に寄って11月に退院した母親の顔を見る事。勝沼の親戚の葡萄園には、宅急便で送れないので取りにくるようにと言われている葡萄液を取りに寄ること。さらには武川村に住む画家の兄夫婦に会って、途中で投げ出してしまった山荘の玄関前の整備作業や物置作りについて相談すること等々。
ひさしぶりのリラックスしたドライブは楽しい。気温は低いが日曜にしては車の少ない中央道を少し眠たげに進む。甲府を過ぎたあたりからフロントガラスが小雨で湿ってきた。そして予想した通り、双葉SAを過ぎ、須玉ICと長坂ICの間の峠を上がった途端から雪模様となる。初雪だ。おもわず駐車帯に車を止め携帯で高速道路を流れる車列に沿って降ってくる今年の初雪を撮る。インターを降りて山小屋に向かう途中から雪はどんどん本格的になってくる。ちょうど紅葉の終わったばかりの樹々、田畑に初雪がいい感じで降ってくる。
オレンジ色の大きな実を重たげに実らせた道端の柿の木に雪が吹き付ける様に魅入られ、しばし芸術写真家か画家になっては、絶妙の構図と、紅葉のグラデーションをバックにした柿のオレンジと雪の白の混ざりあいを楽しむ。



山小屋に分け入るアプローチから真っ白で、そこに車の轍を付けながら到着。夏にペンキを塗ったベランダの深い茶と緑の色が大粒になって来た雪のカーテン越しにとてもきれいに見える。
こうやってひさしぶりに山に来てみると、わずか1ヶ月半か2ヶ月のブランクだが、空気や温度の違いもさることながら改めて取り巻く自然の持つ色や、そのバランスの美しさに感動する。
都会人の習性でついつい先を急いでしまったが高速の駐車帯でも、柿の木の道端でも、そして山荘の正面に止めた車の中でも、そのまま飽きるまで目の前の自然が創り出す名画を楽しんでいたかった。
記憶にもまだ新しい北朝鮮からの拉致被害者家族の帰国。あの時大活躍をした中山恭子元内閣官房参与、元のウズベキスタン大使からうれしい最新著書の贈呈を受けた。その著名も「ウズベキスタンの桜」、1999年から2002年までの3年間のウズベキスタン大使としての滞在記である。
僕が幸運にも中山さんにお会いできたのもそのウズベキスタン大使時代で、本の中にも出てくるウズベキスタンの独立10周年記念事業として團伊玖磨先生のオペラ「夕鶴」を首都タシケントで上演した時の事である。
なぜウズベキスタンの独立記念に日本のオペラなのかというのはこの中山さんの本の中にも説明されているが、ともかくもウズベキスタンの人達にとって日本、日本人と言うのは非常な尊敬の対象であるという。第二次世界大戦後、ロシアに捕虜となった日本兵が抑留され強制労働をさせられていた収容所がウズベキスタンにも多数あり、冬には零下何十度という極寒でのその人達の労働力により街の主要な建物が建てられて今残っている。度重なる地震等の天災にもびくともせず、日本人のその誠実な仕事ぶりが高く尊敬されていると言うのだ。そしてその中でも中央アジアで一番の美しさを誇る首都タシケントの「ナヴォイ劇場」もそうした日本人抑留軍人達によって建てられたもので、その劇場の壁にはそれらの行為を大きく讃えたプレートが掛かっている。
2000年夏にここを訪れた羽田攷元首相夫妻と中山さんとで発案されて、この劇場で日本の誇る美しいオペラ「夕鶴」を公演しようとなったのだが、びっくりしたのはこの劇場を実際に建てたその元日本軍人の方々が生きていらして、この「夕鶴」の公演にあわせて日本から何十年ぶりに劇場を訪れ観劇に加わってくれたことでした。
羽田先生夫妻やウズベキスタン協会の会長でこの時の総合プロデューサーとも言うべきジャーナリストの嶌信彦さんなどによると、元ロシアのこうした日本人抑留者達の足跡は中央アジアのほとんどの国々でたくさん見られて、まだ日本に帰国できずに眠っている日本人達の墓地がたくさん残っているというのだ。
戦後生まれの戦争を知らない僕等にとってはこの時ウズベキスタンで経験したことは、初めて自分達の親達の過去を目のあたりにすることであったし、歴史でも地理でもヨーロッパまで飛び越してしか勉強してこなかった、僕等の本当のアジアの隣の人達の素晴しい社会の現実を見ることでもあった。僕自身、その2、3 年前から羽田先生などに連れられてのモンゴルをはじめとした中央アジアへの旅が、この年このウズベキスタンに至って、自分の頭の中の世界地図が日本から中国を越え中央アジアを通ってヨーロッパへと一枚のものになった感じがした。
ウズベキスタン公演のあとは、隣のカザフスタンでも「夕鶴」を上演し、さらにはまたその隣でやはり大変親日のキルギス共和国までスタッフ全員で訪れることができた。帰る頃には主催の国際交流基金の方々とも、早いうちにもう一度この中央アジアに帰って来ましょうと約束して帰って来たのですが、我々が成田に帰り着いた2001年9月5日のその日から一週間も経たないうちに「9・11」が起こってしまい、ズルズルと中央アジア諸国は戦火にまみれて行き、我々はじめ関係者みんなの手からも大切な宝物がどんどん遠ざかって行ってしまいました。
「ウズベキスタンの桜」はとても美しい本で、その散りばめられたたくさんのウズベキスタンの素晴しい原色は写真集と見紛うほど、また文章は中山さんのあのウグイスのような優雅なお声で語り掛けられているようで、愛情深くきめ細やかに見聞されたウズベキスタンの街の様子が読むものを幸せにしてくれます。こんな優雅な雰囲気の女性が大使着任早々の日本人拉致事件や、2002年の北朝鮮との交渉等で粘り強くお仕事をされてしっかりと解決して行く様を見せられると、ポスト小泉として名前が上がらないのが不思議に思えるのは僕だけだろうか。
秋になるのがこんなに早いとなにも追い付かない。山に行ってやっと大工作業を見つけて材料を買ったのにそれ以来山に向かって車を走らせられない。病院に入っているお袋にもあれ以来会いに行けない。なにが忙しいのかわからないが家から離れられずに毎週末を過ごしてしまった。昔は代々木猛虎会で大興奮していたあの阪神が優勝し、松井のヤンキースが優勝しても、いったいどこの話なのか全然実感がない。
と思うと、一年間成田での寮生活を頑張った長女が9月一杯でJALを辞め家に出戻って来た。家の4WD1台で事足りた入寮のときとは違って出戻りの時には同じ車で2回往復してやっとぎりぎり荷物が乗った。そして10月1日、やる気満々で青山の新しい職場に飛び出していった。やっぱり家族一緒がうれしいらしい、僕等もうれしい。持って帰ってきた荷物(ゴミ?)はお祖母ちゃんの部屋だった所に山と積まれて向うの窓が見えなくなった…今年一杯このままか?
その上、先週からサーバの調子が悪くなり、この週末はOSの再インストールからサーバの再構築でほとんど部屋に籠ったままで過ごした。
あ、あ、明日からもうちょっと健康的に生活しましょう、はい!
23日には久々のリサイタルも控えているのですよ、しっかり準備に入らなくては。