「今年もこの大会から」というのは、毎年この4月半ばから開催される「全日本パブリックアマチュアゴルフ選手権競技会」のタイトルフレーズです。
タイトルどおり大体毎年この競技会(もちろん地区の第1予選)を一年のゴルフの最初の目標として活動しはじめる。
もう続けて10年以上になると思うが一度も予選を通過した事はない。もうちょっとというチャンスは2回ばかりあったと記憶している。
最初の頃はこの大会も一般ゴルファーにはそれほどポピュラーではなくて、参加人数も年やコースに因ってかなりアンバランスな時があり予選通過ラインが比較的高かったりしたときもあった。
ある年、御殿場の富士グリーンヒルGCで受けていた時だったが、このコースはこの大会に関してはいつも中心的なコースだったので参加者が多く、特に大学のゴルフ部が毎年こぞって参加していた。しかしその年はなぜか大学生の参加者が少くて一般のアマチュアが多くみえた。
それにしても春先のゴルフ場は難しい。フェアウエ−、グリーンともまだ芝が一定に生え揃っていないし、グリーン回りは特に難しくて、枯れ芝に新芽が混ざり、足元がでこぼこだったり、ゆるかったり…と、なんとも一定では打てない情況が多く、我々の技術自身もまだ熟れていないこともあり、トップ、ダフリ、シャンクと何でもありの非常に危険なゾーンとなって、そこから競技会用に速くしたグリーンには、「簡単に寄せワンでパーセイブ」なんて出来ないのだ。
その年は前日から非常に天気が悪くて嵐状態。朝着いてみると案の定キャンセルが多発して組数激減、ザンザン降りの寒い雨の中に出たくない人も多く「競技会、不成立じゃないの?」なんて雰囲気のまま、とりあえずは折角来たんだからと、遅い組でスタート。
どしゃ降りの雨の状態は変らず、4、5ホールは頑張ったがすぐに集中を切らして途中から半分プッツン状態。それでもなんとか41でおさえてハーフを終えてターン。どんな状態でもハーフ40以上叩いたらもう残れないだろうと観念しながら、少し雨が小降りになったので頑張って出て行くが、寒さと雨で凍りついた身体ではどうにもならず、50以上のストロークで帰還。
もうすっかり競技会の事はあきらめてシャワーを浴びて帰ろうと、最後にスコアボードを見に行くとなんと「悪天候に因り今年度競技会は前半9ホールの短縮として…」とある!
12 名の予選通過者を先頭に上からスコアが並んでいる。トップは33ストローク、当然!なのだが、10〜12位がなんと40ストロークで通過していたのだ。アーーア、あと1ストロークだった!プッツンしないでもうちょっと我慢したら…!と思うと急に残念な気持になった。ちなみに41ストロークは僕をふくめて7名もいた。
何ともレベルが低いが、僕が予選通過に1番近かった年である。さて今年はどうなるか、4月27日、小淵沢CCが本番である。
最近のこの大会の盛り上がりを見ると予選通過などとてもとても無理なのだが、スクラッチ競技会のあの妙に痺れる緊張感がたまらない。頑張るぞ!

4月に入り一気に春が押し寄せた感じで、桜にとどまらず緑がだんだん鮮やかになり、動物達も活動が活発になってきた.
一年中、朝の散歩を続けているが一番良い季節になった.
我が家は新宿から私鉄で20分ぐらいの場所で、まだまだ緑の残った土地が沢山あるので、散歩の場所には事欠かない.少し遠出すると有名な公園などもいくつかあるが、朝の散歩なのでやはり自宅の周りになるのだが、川もあり、また最近はその川の両岸を市がとても整備してくれて、散歩にうってつけの環境を作ってくれた.
川は水もそんなにないのだが魚も多く、放流した大きなコイがたくさん泳いでいて、カモ、ガン、アヒル、それにサギなども集まってくる.今からは何と言っても楽しみなのは子ガモを沢山連れてギャアギャア言いながら一列で泳ぐ「カモの一家」の行列が見れることだ.
あとこの川にはどこかから捨てられたのか、沢山の大きなカメもいるし、野生系では、いつも同じコンクリートの壁の水抜き穴から出てくる蛇もいる.
両岸には今、色とりどりの春の野草が春色を競って咲き誇っているし、その上空は桜のトンネルがまさに満開である.
いつまで桜がもつか、しかし桜は先頭走者でその後には、一層緑が濃くなって自然が胸を張って息をし始める.最高の季節である.
昨日いきなり全国的にマスコミが「おおつき、おおつき!」と叫んでいた.
何かと思ったら日中の気温が4月としては記録的な30.2度に上がったのが山梨県大月市という事だが、実は僕の生まれ育った甲州街道の宿場町である.
これ以前にも何度か同じような気温の高い現象で「おおつき」と叫ばれた事があるが、その他で全国区を張った僕にとっての一番の記憶は、もう大分経つが羽田を発って大阪・伊丹に向かった日本航空機がダッチロールを繰り返して秩父山中の御巣鷹山に坂本九ちゃんや阪神球団社長を始め沢山の人を乗せて墜落したあの事故です.あの時の一番記憶に残っているフレーズが「大月市上空にてダッチロールを繰り返し…」というものだった.
坂本九ちゃんは2度ほどであるがNHKのTVや公開番組でご一緒した事があったり、僕自身が熱烈な阪神ファンだった(?)頃だったりしたので、自分の故郷の上空でいきなり起こった大惨事に何日も口を開けたまま絶句していたような記憶がある.
実際の大月という町は本当に平凡で小さく貧しい町です.甲州街道と言っても切り立った山と山の狭い間を流れる細い川に沿って張り付いたような部落の連続で、冬は寒く、夏は暑い…とても我慢のしがいのある地形なんです.だからか経済界では全国区な人がたくさん出ていて、それは一説には、冬寒くて夏は暑いし、一日の内でも朝すごく寒くて日中になるとものすごく暑くなる…という、非常にめりはりの効き過ぎたというか温度差の激しい土地なので、非常に頭脳明せきな人間を作り出すのだ…なんて解説する人もいるくらいで、阪急電鉄や宝塚の創始者、小林一三氏を始めとしてNEC日本電気会長だった小林宏治氏などもここの出身である.
昨年夏、NHK-BSの番組収録で久しぶりに地元に帰った.自分の故郷自慢をする「山梨だよ、私の太鼓判!」という番組で故郷に帰ったのだが、いざとなると本当に全国に自慢するようないわゆる「スポット」がなくて困ってしまったのだが、最後には平々凡々と田舎田舎した何もないのが一番の自慢かもしれないと思えてきて、全然顧みなかった「故郷」が急に宝石のように重く感じた夏だった.
東京で故郷の名前を聞くと胸の何処かで何か音がする.
3月中旬、歌の仲間達と小淵沢の山荘に一泊二日、スキーの予定で出かけた.
山小屋の掃除をし食料を買いに地元のスーパーへ行ったが、スーパーの隣の「Jマート」で桜の生の丸太(長さ:2,5m、直径:50-60cm)を一本見つけて買ってきた.山荘の床を張替えた話しはしましたが、その際フローリングを敷き詰めていって壁際の処理が面倒くさかったのだが、お勝手と大部屋のしきりに作ったカウンターの足下の処理で行き詰まって放り出してあった.つまりカウンターの足下にフローリングがぴっしり張れないのだ.段差も出来ていたのだが、なんとなくのイメージとして、カウンターに腰掛けて足を投げ出す所に丸太を置いたらうまく行くかなと思っていたので、サイズもしっかり計らずに買ってきてしまった.仲間達とベランダで作業開始.電動ノコでカウンター下のサイズ、2,1mに切断.それから木の表面の皮を剥ごうと思ったが、生木なので樹液が出てくるのも困るので、サバイバルナイフでこするようにして皮の表面をきれいにする.そしてからクリアラッカーを吹きかけて終わり.さっそくカウンターの下に転がり入れてみると、フローリングと床の段差にちょうどうまく納まって固定された.イスに座ってカウンターに向かうと足先がちょうど桜の木に乗り高さもちょうど良いようだ.少し引いて眺めてみると、ログハウスに注文で作り付けた原木風の素敵な感じに仕上がって、特にラッカーで光った桜の木肌がとても美しい.この原木一本¥300で、会心の作業完了である.
