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ブログ倉庫1(2005/4-2014/10)

さて自宅サーバを立ててLinuxを勉強してここまで来た.Macにべったり張り付いて遊んでいても良かったのだが、コミュニティ参加型のフリーOSのFedoraCoreを選び、それを追いかけながら、その成長と共にコンピュータの基本であるUnixについて沢山学んだ.今年に入ってから、でき合いの物でない自作のコンピュータが欲しくなって躊躇していたが、ついに10日ほど前に買ってしまった.自作という事にこだわりながらも格好良く使えるものと考えて、今流行りのキューブ型の小さなデスクトップで静音のものを見つけた.台湾のShuttle社の製品、キューブ型で小さい物だとどうしても考えるのがCPUなどの過熱対策であるが、単純に「日本よりも高温多湿の台湾の製品ならその辺は大丈夫だろう」と考えての決断である.一からの組立ではなくて、筐体にマザーボードと電源ユニットがすでに納まっているいわゆる「ベアボーン」型だ.それにあわせてPentiam4のCPU、DDRメモリー、それにHDとComboのドライブを購入する.CPUの組み込みにはちょっと神経を使うが、後はほとんどプラモデル感覚で組み立てられ所要時間2時間ほどででき上がる.乗せるOSでちょっと迷った.Windowsを乗せて、自宅サーバからのHP他の発信のチェック用にしようかと最初は考えていたのだが、ここのところのLinux関係の動きが非常に活発になっていて魅力が増している.サーバに使っているFedoraCore3もアップデータが大体修了し非常に安定してきたし、今月末には正式版としてFedoraCore4も発表される.さらにヨーロッパで一番のシェアを誇る非常にクールで安定したSuSeLinuxの日本語版も安定版が値下げされて発売された.このLinuxのディストリビューションの相次ぐ新バージョン発表の目玉は、OpenOfficeというオフィス・スイートの安定版のバージョンアップだ.悪名高きマイクロソフトのWord、 Exelなどをしかたなく使わざるを得なかったユーザを完全に自由にしてくれる素晴らしいソフトの登場だ.考えればLinux自身の発展も、その動機の大きな部分では、永遠に高いロイヤリティを払わせられてウィルスべったりのMicrosoftのWindowsへ反旗を翻すところから始まっているのだから、ここでこのOpenOfficeの完成によって完全にMicrosoft、Windowsを捨て去れる状況に到ったのだ.そう考えてOSはフリーの FedoraCoreに決めた.FC4が雑誌の付録で月末に出るのを待つのも芸が無いので、とりあえずはサイトからダウンロードしてFC4 test3という試験版を入れてみる.すでにこれにもOpenOfficeの最新版は組み込まれている.外は良い天気が続く一番の季節だが当分部屋から離れられそうもない.

やはり我らが代表は信じていた通り強くなっていた.僕も経験があるが、大きくて重要な舞台などの経験を積めば積むほど、いわゆる大一番での集中力が飛躍的に増し、それによってパフォーマンスのレベルが飛躍的に高くなるのだ.それを実力がついた、強くなったと言う.まさに日本サッカーがそうだろう.急成長しているがもうひとつ経験の浅いバーレーンの戦いぶりを見て、ドーハの悲劇とか今一歩のところで躓いていた頃の日本代表を見るようだと誰かが言っていたがまさに実感だ.水曜日の北朝鮮戦で一気にドイツ行きを決めて欲しいとは思うが、退路の無いところでギリギリの集中力で戦う代表の試合をもっと頻繁に見たいと思うのはあまのじゃくでわがままな願望だろうか.

朝7時半スタート、千葉を抜けた先の茨城のゴルフ場でのコンペ、車がない状態の今の自分を心配してくれた友人の吉田氏と前夕から成田に行って泊まった.吉田氏はこのところダイエット中で昼飯は毎日、立ち食いそばだと言う.私は、車が電車通勤になり移動に時間とエネルギーを以前よりも沢山消費するようになったのだが、大学での授業、レッスンは夕方以降の都心などへの用事の為の移動を想定して超過密にしてあるせいで、相変わらず昼飯抜きの状態が続いていて、胃袋がかなり小さくなってきている.そんな二人の意見の一致したのは、夕食が大切で、沢山はいらないが、美味しいものをこだわって味わいたいという点であった.全日空成田ホテル13Fのスカイダイニング「彩風」はそんな吉田氏がインターネットで検索して、おもしろそうだという事で、顔を出してみる事にした.13階から成田の滑走路の方を見渡す広いパノラマを楽しみながらの非常にゆったりとした空間が穏やかで豊かな時間を作ってくれている.「季節折々の旬の食材を和食と洋食を融合させた、シェフオリジナル創作料理で」といううたい文句のとおり、メニューには和と洋の非常に沢山の料理が並んでいた.ビールで空きっ腹を刺激しながらも、すぐにお腹を一杯にしたくないので、3品ほどのオードブルの他に、和牛肉のステーキ/活伊勢海老のソテー/活鮑の蒸し焼きなどがワンプレートに乗ってくる「よくばりディッシュプレート」(ファースト)¥9,240-をお願いして二人でつつく.さてワインを、と考えるのだが、こういう時は「ハウス・ワイン」とお願いして、お店の基本的な品定めをさせてもらうのも最近憶えた楽しみ方の一つだ.ミディアム・ボディのどんな料理にも違和感のないような赤が出され、本来、美味しければ何でもいいと思う二人ともに、その飲みやすさに銘柄などを記憶に留める事を忘れてしまった.ただそのワイン選びのうまさが料理にも繋がっていた.
メニューを見ても特別びっくりさせるような仕掛けはないのだが、よく見てみると和と洋の考え込まれた品目の多種さが目に付き、一見、ファミリーレストラン風かな..などと心配したのだが、出てきてみると料理のその中身の繊細で本格的な味作りや、また和と洋がしっかり並んでいながらもそれぞれの料理が他の料理と程よく喧嘩せずに楽しめるように味作りされているのには二人してびっくりした.
昼間疲れて小さくなった僕らの胃袋には、量はそんなに要らず、一品一品に込められた、丁寧な味作りやかくし味などをみつけながらリラックスした時間を楽しめたと感じた時、ああ美味しいお店だなと思った.個人的な最後の締めとして、メニューにはないのだが、大好きなアスパラがあったらとお願いして茹でてもらう.ワインを二人で2本空けた頃に、そっと後ろにシェフらしき方が来てくれた.以前はフランス料理だったというシェフの長島正宏さんと気さくに話ができたのも楽しかった.
明日がいくら早いゴルフでも寝るのには早過ぎるので、バーに移動してなどと考えるのだが、ここではそのままバーのカウンターに移動できるというので、これも我々には大いに受けた.
夏休み中にでも家族連れで和・洋のオリジナル・コースなども楽しめるような空間を見つけたようだ.
*全日空成田ホテル 13Fスカイダイニング「彩風」: 286-0107 千葉県成田市堀之内68番地  0476-33-1311

5月ももう終わるという日、めずらしく寒い雨が降る中、河口湖へ行ってきた.4月から5,6月と富士山麓は最高の季節で、毎年クラブを担いで仲間達と遊びに通うのだが、今年はなぜか4月に1度行ったきりだった.いつも遊ぶ拠点は決まっていて、そのうちの一つはもちろんゴルフ場.お気に入りは「鳴沢ゴルフクラブ」と「富士レイクサイド」.そしてゴルフの後では森の緑に囲まれた中でのビールや季節の山菜を楽しむのが最高の時間だ.一つは浅間神社の森に隠れた美味しいレストラン兼ペンション.料理教室を開いている奥さんのこれ以上ない美味しい料理をこれでもかと毎回堪能している.そしてもう一つのお気に入りの遊び場所が、ゴルフ場のすぐ横にあるKさんご夫婦の別荘だった.標高1,200mの森の中に、東京・六本木から移り住んだKさんがご自分で設計なさって建てた素敵な八角形の建物で、二階から上に作られた音楽専用の素晴らしい木作りの空間はいつ行っても別世界だった.真ん中に掘られたピアノ4台分ほどの円形のスペースを中心にして、その外周と壁の間がやはりソファーセットを置けるほどの幅がありぐるっと取り巻いていて 2,30人が好き勝手に寛げるようになっている.富士山頂に向った南側は140度ほど開いて4m位のガラス張りで外の大木の幹や森の緑を見せてくれる.南側はさらにいちだん深くなって教会の祭壇のような作りで、パイプオルガンのパイプがいぶし銀に光っていて、その金属の光と天井全部を覆った自然の木材のコントラストが美しい.建てた当初はここで沢山のコンサートを開いたと聞いた.
何年か経ってKさんはまたご自分で設計なさって、河口湖の反対の湖水の辺に、今度はスペイン風なお家を建てられて、そちらに居を移された.そんな頃にKさんご夫婦を知った僕は、八角形の音楽堂を音楽大学の学生達の合宿の時のレッスン用に貸してもらうようになり、それからは季節季節にこの八角形の別荘に訪れるようになり大変幸せな時間を作ってもらった.いろいろな事情があってこの別荘を人手に渡されるとお話があったのがこの4月で、正直びっくりもしたが残念でならなかった.そして先週、奥様からお電話を頂き久しぶりに中央高速から富士の懐、緑の中を走って別荘に駆けつけた.1年で一番緑色の鮮やかな今、雨にしっとりとぬれて霧のベールを被った八角形の懐かしき館は、主人が替わるのが気に入らないのか、ちょっと寂しげに見えた.時間の止まったような会話を一時間半ばかり交わしての別れ際、奥様から自宅で育て上げたというクレマチスの鉢をいただいた.雨に濡れた6弁の紫の花は自然の緑の中でとても幸せそうに見えたが、東京のコンクリートの上に持っていって機嫌を悪くしないだろうか?

そうこうしているうちにホレンダー氏が立ち上がって話し掛けてきた.「Mr.小林、この方は今フランクフルトで指揮しているマエストロ、P.ショロットナー氏です.彼が貴方に大変興味を持って、今度のシーズンから彼が音楽監督をなさる劇場で一緒に仕事ができないかと言ってます.ついてはドイツにあと何日いられますか?」実際、僕の財布の中はミラノまで帰り着けるかどうかと、底を突き破った状態だった…「あ… あまり時間は無くて、早くミラノに帰らなくてはならないんですが」…バカ、それで壊れたらどうするんだ…でも本当に金もないし..
するとまたホレンダー氏と指揮者が話しあいをはじめて、今度は指揮者が立ち上がって出ていってしまった.やっぱり…と、少しして弱気の虫が起きかけた頃、指揮者がもう一度入ってきてホレンダー氏を呼び、僕の方を向いて「明日の午前中に劇場の方でオーディションを設定したので、一晩だけ泊まって残って下さい」と言ってくれた.もうこうなったら絶対ノーとは言わないぞ..と決めて「イエス!」と返事.
P.シュロットナー氏と何言かしゃべったがひどいオーストリー訛り(あとでわかった)でぜんぜんわからないまま握手だけは強く握りあったのを思い出す.少ししたら事務所に来てくれとホレンダー氏に言われて、あとで行って見ると、そこにはそれから1時間ほどで出る電車の切符と、書類が1枚それにホテル代と必要経費のマルク紙幣の入った封筒.
「ともかく駅からこの電車に乗って、着いたらこのホテルに泊まって、明日の10時にこの劇場に行って、劇場支配人他のオーディションを受けて下さい.音楽監督はもうOKを出していますから多分大丈夫だと思いますが、問題なかったら契約書にサインして、その足でミラノに戻られて結構です.早いですがおめでとう!」もう何が何だかわからなくなった.言われるままに差し出される何枚かの書類にサインして、ミラノの住所を書いて駅に向うべく外に出た.
やった!….と言いかけて、でもどこの劇場なんだろう?全然聞いた事のない名前なのだ…オールデンブルグ?って言ってたし、切符にもそう書いてあるが、フランクフルトからどっちにどの位行った、どんな町か、ともかく何もわからない.でもそこに行かなければなにもはじまらないのだと納得して夜7時過ぎの電車に乗り込んだ.北に行くのか、南か、西か?日本と違って電車の中には何も路線図などのインフォメーションはない.車掌に聞こうと思うがドイツ語はできない...
知らない土地で、さらに知らない宇宙の果てまで連れて行かれるような真っ暗な闇を走る電車の中で、不安だらけの僕は、疲れているのに頭だけはしっかり醒めてそのオールデンブルグという名前の駅に着く時刻をただひたすら待っていた.<続く>