デビューコンサート(12月19日、音楽の友ホール)も決まっていよいよ動き出したマトゥーリ男声合唱団、団員募集もしながらもともかく歌える歌を一曲づつでも増やしてゆかなくてはならない。12月のコンサートではクリスマスコーナーで少し手抜きができるとしても、肝心の合唱の演奏を10曲位はは揃えなくてはならない。
ということでさっそく先週から楽譜作りとパート別の練習用テープ(MD)の製作に掛かりきりになる。
今月中にコンサートで歌う全ての曲の楽譜とMDを揃えてみんなに渡したい。数少ない練習でたくさんの曲を仕上げなくてはならないので、団員個人々々にはMDを肌身離さずに聞いてもらい、早く歌を憶えてもらうためだ。
曲目の内容はあまり高望みもできないが、日本の歌、外国の歌、それに季節のクリスマスソングなどでバランスよく考える。まず日本の歌はうちの奥方の編曲による「海の歌シリーズ」と題した「浜辺の歌」「椰子の実」「九十九里」の3曲にする。みんな知っている曲だし、「九十九里」の豪快なエネルギーが他の2曲の叙情性を引き立たせるのでうまいバランスになる。
外国の歌は歌いたがっている格好いい曲はたくさんある。その中からまず「シェナンドー」と「ナブッコ」を入れようと思う。「シェナンドウ」は春からやってきて夏の合宿で一応できあがっているお気に入り。「ナブッコ」はオペラファンでなくても憧れるヴェルディの名曲、絶対やりたいと言う。あと「Let’s All Men Sing」というアメリカの曲。全米の合唱フェスティバルかなにかの折に依嘱作曲された曲でやさしいわりには男声合唱の醍醐味の味わえるアップテンポな曲。英語、イタリア語ときたのでドイツ語の曲もというわけではないがもう一曲、雰囲気の違う静かなシューベルトの「Die Nacht -夜-」という定番中の定番の名曲も入れることにする。これで7曲、あとスタンダードなものの中からもう一曲、前からやろうやろうと言っていた「ホーム・スイート・ホーム」(はにゅうの宿)も入れることにする。原語は英語だが映画「ビルマの竪琴」で有名になった日本語での「はにゅうの宿」が良いと思う。最後にクリスマスソングだが、これはアンサンブルとのアレンジを考えたり、他のコーナーの出来次第で伸び縮みさせるつもりなので今はまだ決定せずにもう少し待つことにする。
というわけで9月6日の銀座での打合せの後、すぐに以上のようなことを考え上げ、9月中の練習で全て渡せるように作業開始する。最初はよく知っている日本の歌などが取っ付きやすいと思うので、直近の13日の練習には日本の歌を揃えてゆくつもりで、まずは楽譜製作。久し振りの「Finale」(楽譜浄書ソフト)を引っ張りだして、女房の書いた手書きの楽譜を元に打ち込んでゆく。以前からキーボードは使わずにマウスでクリックしながら一音一音張り込んでゆくのが癖だが、楽譜浄書の作業で、僕が一番面倒くさいと思うのは音符や歌詞の入力ではなくて、その後の表情記号、特にフレーズ用のスラーやアクセント、「crescendo」や「a tempo」など表情テキストなどの微妙な配置と、ページレイアウトだ。特にページレイアウトはその曲を何ページに納めるかといった問題から、見やすく読みやすい音符の玉の大きさや、小節の配置などの微妙な調整で時間を食う。でもこれらの作業は大分手慣れているし、Finale自身もヴァージョンアップで進化しているので以前に比べたら大分スピードアップしてきた。各々の楽譜の上の右端に整理用の書類名を、一番下のセンターにはフッタとして、「2005@ i Maturi」とコピーライトを入れてできあがり。何度か印刷しながら微調整をして決定版を作り、別のMOに保存し、一枚インクジェットで精細に印刷する。これをコピー元譜としてクリアファイルする。
次の日は一日かけてMD用の録音をする。この作業もコンピュータの進化で非常に楽にはなった。レッスン室にあるラックのCD-Recorderにマイクを繋げて、ピアノと歌をCD-Rに直接録音する。そのCD-Rをコンピュータに入れ、「Sound it !」というサウンド編集ソフトで加工、切り貼りし、「Toast」というCD複製ソフトで各パートごと、順番ごとに整理してCD-Rに焼き直してゆく。それを再びレッスン室のCD-Recorderに入れ、そこからやはりラックのMD-Recorderにデジタルでコピーしてゆくという工程です。
この中で一番時間の掛かるのはまず何と言っても録音作業。一つの曲に関して、カラオケ状態で練習ができるようにとピアノ伴奏だけの録音を取り、今度はそのパートの歌の部分を音取練習できるように、1番から3番までとかを全部のパート分、僕が歌ったものを録音するのです。例えば「椰子の実」ですと1番から3 番、それにコーダ部分まであるのをテノール1、テノール2、バリトン、バスと音、言葉を間違えずに歌い、最低16回というか16番以上、コーダを4番と考えるとなんと20番分以上歌って録音します。僕も歌い手のわりには音程やリズムなどはしっかりしている方ですが、男声合唱の4パートを上から下までうまく録音するのは至難の技です。特にバスやバリトンに関しては、いくらマイクを近づけても低い音が出ないので、録音して聞いてみると「シャー」という息の音しか録れないのです。バスさん、バリトンさん、ごめんなさい。
大変な録音作業ですが、今回もっと時間の掛かったのが最後のCD-RからMDにコピーする作業。コンピュータで今はCDのコピーは8倍速から24倍速とか言ってすごく早くできます。しかしMDはそれができないのです。CD-RecorderからMD-Recorderへのコピーはいわゆる1倍速、音楽の時間だけ掛かるのです。これはどうしようもないので、古いラックのCDプレーヤを引っ張りだし、さらには電器屋の閉店セールに飛びこんでMD- Recorderの安いのを見つけて来て、ダブルで作業できる状態にしました。それでもMD一枚に日本の歌3曲に「はにゅうの宿」を加えての4曲。ピアノ伴奏、歌を合わせて16トラック、約40分以上である。ダブルで作業するので4パート1組(4枚のMD)ができあがるまで、約1時間半。
CD-RとMDを取り換える作業の合間にはMDのラベルを作成して印刷さらには張り付け。まさに突貫という感じで家に籠って3日連続の午前3時様の作業。 13日の練習日までにクリアファイルに入った楽譜6部と歌詞テキストが20組。それにMDも各パートそれぞれ6枚づつで計24枚できあがり。練習の後の六本木の焼酎は美味しかったが、まだ今月中に残りの曲目の楽譜、MD作りが待っている。あーあー、あああ!

骨折で人生初めての入院生活をしている94歳の母親を娘と一緒に見舞いに行った3日後、9月最初の週末、その母親を再度大月の市民病院に見舞いに行きその足で小淵沢の山小屋に行く。
8月の合宿で使って以来、いくつか修理等のポイントがうかんできたのでその修理計画を立て、うまくいったら早速作業を始めたいと思った。
とりあえずは作ったばかりの大げさな作業台を始め、小屋の裏に移動しただけのガラクタを選り分けて捨てるものは捨て、戻すものは戻さなくてはと思う。
一つ一つ見てみるとほとんどが捨てても問題ないものばかりである。作業台だけはベランダに戻すべきかとも思ったが、その大きさはやっぱりじゃまであるし、こうやって小屋の裏の外壁に沿って立てておくとその下の部分だけでもちいさな物置スペースになりそうなのでそのままにしておくことにする。なまけものである。
考えている作業は二つ、物置と玄関前だ。急を要するというか一番最初に修理したいのは、車を降りてから玄関のベランダに付いた階段までのアプローチを整備することだ。車からは下りのアプローチになっていて、階段前のスペースは一番低くて地面が丸出しなので、いつも湿っていて履物が泥だらけになり、玄関回りが汚れてしかたがない。計画としては階段前のスペースの水捌けを良くするために、少し土を取り除いて、そこに砂利や石塊などで何十センチかの層を作り。その上に飛び石のような石板を並べるかして階段前をきれいにする。そこから車まではやはり同じ様な飛び石か、枕木かを間隔をおいて置いてゆき、靴が汚れないで歩けるようにするというものだ。
物置は地元のホームセンターに並べてあるものを買うつもりだったが、納期や設置日付の打合せとか、東京から来るのを考え合わせなくてはならない分、面倒くさく決めかねていた。しかし山に来てしまうといつもめらめらと大工作業意欲が湧いてくる。山に着いた足でお得意のJマートに寄って眺めていたら日曜大工 (DIY)の雑誌から面白いものを見つけた。手作りの物置小屋の設計図と作り方の記事だった。これを作ろう。寸法でいくと大分大きくて、材料費だけで8万円ぐらい掛かってしまうので、この設計図の寸法を縮小して少し小さなものにして材料ももうちょっと安いものを探して作ってみよう。
そんな事を考えながら次の朝、夏の落葉掃除のときに手伝ってくれた兄に電話すると、いま畑にいるということなので、さっそく行ってこの間のお礼方々また協力をお願いすることにする。
まず物置について兄に提案してみると「僕等も大工の息子だから、この程度のものは作れるだろう、やろう、やろう」という事になり、サイズ縮小の設計図を僕がまず書くということに決まる。
打合せをしながらの遅い昼食の後、玄関前修理のための材料を漁りに3人で諏訪まで出かけることにする。地元のJマートもかなり充実していて問題ないのだが、諏訪のインターの近くの大きなお店がたくさん集まっているバイパスの辺を探訪してみたいというお義姉さんの意見を入れて繰り出すことにした。
諏訪では当てが外れてJマートが無かった。しかたないので「ケーヨーD2」で焼レンガ20枚、撒き砂利2種類6袋、それにテラコッタ風の敷石板を8枚買う。これで大体足りるだろうという目算だが、材料が足りなくなった時、Jマートになかったらまた諏訪まで来なくてはいけないかもしれない…と少々、気にはなったが、大体が一生懸命やっても一季節過ぎると土中に潜ってしまったり、落葉が堆く溜ったりと細かくはあまり気にはならない場所なので、少々形や色が変わっても問題ないだろうと思うことにする。
お義姉さんが今年から始めると意気込んでいる「スノーシュー」などを扱うアウトドア専門店「モンベル」の大きなお店を興味深くみんなで覗いて満足して小淵沢に戻る。
うちの山小屋の近くにできたばかりの本格中華の店で夕飯。本格中華というにはちょっと料理が家庭的過ぎる感じだが、なんとここには紹興酒のカメが常備してあり、ヒシャクでグラスにたっぷりとついでくれるのだ。なんと幸せなことか! 実は僕は紹興酒カメ酒の大ファンで、ワインが無くてもカメの上澄みがあれば天国なのだ。山小屋からこんな近くにこんな所を発見したのはうれしい限り。お店が早々とつぶれないでなるべく長持ちしますようにと、上澄みを舐めながら祈ってしまった。大満足の一日だった。
ベランダに買ってきた材料を積み上げて、明日雨が降らなかったら、兄と二人で玄関前の作業に入る約束をして別れる。夜半の天気予報は台風の影響での大雨を予想していた。兄が忙しくてこの週末つかまらなかったら、一人でゴルフでもして帰って来ようと、明日の朝一のゴルフ場も予約だけはしてあった。今年始めから変わり始めた「晴れ男」のラックにかけたが、やっぱり朝起きてみると外は真っ暗の大雨状態。ゴルフ場と、兄の所と両方ともキャンセルの電話をしてもう一度ベッドに潜り込む。9時すぎに起きても雨の勢いは増すばかり、台風の影響だという。あまり降ってしまうと帰りの中央高速も危ない。あきらめて部屋を掃除しごみを積んで、昨日買ってきた材料にはシートをかけて退散する。通行止め一歩手前の大雨の中では、大月で降りて母親の顔を覗いてからというのも諦めて、一目散に東京まで駆け抜けた。今度山に行けるのはいつになるのだろうか、なんとかして9月中にもう一度行って玄関前をやりきらないと。
春先から始めた新しい男声合唱団ついに名前が決まり、12月には演奏会も開催することになりました。
名前は「マトゥーリ男声合唱団」、Maturo(マトゥーロ)は「熟した」「成熟」「熟練」「分別」という意味のイタリア語。maturus(熟した、実った、時宜を得た)というラテン語が元で、果物やチーズ、ワインが熟するといった意味もあり、今回 i Maturiと複数形にして「熟達者たち」の意味を込めました。また普通にローマ字風に読むと、Maturi =「祭り」とも読めます。人生の熟達者たちが熟成したワインを傾けながら、祭のように和気藹藹と合唱を楽しむ、いい名前ができました。どうぞよろしくお願いいたします。
さっそく活動開始とばかり、昨夜は銀座のワインバー「HIBINO 1882」に中心メンバー7名が集まっての打ち合わせ。夏の合宿の時にやろうと言い出した12月の演奏会開催をさっそく決定。会場はクラシック音楽雑誌「音楽の友」社の「音楽の友ホール」、日時は12月19日(月曜日)19時開演。
いざ決定してみると、すぐにでもやらなくてはならない問題が山とあることに気づき、さっそく概要、曲目、広報、団員募集などなど一つ一つ真剣に討議を重ね、担当者などを決める。しかし実際の演奏会の曲目選定や、衣装などの楽しい話題になってくるとみんな声が大きくなって目が輝き、あたかも少年時代のいたづら小僧のような表情を見せてくれ、とても楽しい打ち合わせになった。
肝心の演奏会の内容は、今からの練習に残された期間を考えて、合唱の演奏に50〜60%の時間、曲数的には約10曲ほどとし、残された時間を私のソロステージ、弦楽アンサンブルを伴ったクリスマスコーナー、MCなどに当て、全体的に心暖まる楽しいステージにしようということになった。
これらの決定を受けて私としては、今月中に音楽ラインナップを最終的に決めた上で、練習用のテープを全曲分作りあげなくてはいけないという大きな仕事をすることになってしまった。
音楽の友ホールは客席数224席でステージもそれほど大きくはないのだが、各パート6人から10人の総勢24から40名ぐらいにして、カッコ良く演奏したいと思う。
さあ、新しいメンバーの募集も含めて熟達者たち、「マトゥーリ」の挑戦が始まります。どうぞ、御期待下さい!
「カズオ、私があと10年若くて一緒について行けたら、お前は世界中で名声を築けるのに..」我が師、カルボーネ女史のこの言葉はオペラ歌手という職業の本質をよく表しています。
他の楽器と違って歌い手はその楽器を体の中に持っています。と云う事は自分の出す声、自分の歌う歌というものを客観的に判断するのがとても難しいという事です。自分が出す声が正しい音程であると思っても、実際に他人の耳で離れて聞いた場合正しくないというような事がプロのレベルでも起こります。
音楽家・演奏家の修行の大きな部分は、音を聞き分ける耳を作ることとも言えます。歌い手もその事は同じですが、ひとつ違うのは楽器そのものに付いた耳であるという事で、他の楽器に比べて歌の声は音の進み方が極端に直進的であるという特性と考えあわせると、自分の声や歌を、自分の耳で判断、コントロールすることが非常に難しいということになるのです。
ですから歴史的にみても、歌い手というものはいつも、他人の良い耳を求めて、それによって判断、コントロールして演奏を成り立たせてきました。つまりオペラ歌い手はいつも良いボイストレーナー、コントローラーとの二人三脚で成り立ってきたのです。
一対一のレッスンを重ねながら声や歌を作り上げてゆきますが、本番になり大勢の前で歌う時、オペラのステージで歌う時、毎回歌う周りの状況は違いますし、また歌い手の体、つまり楽器の状態も毎回違って二度と同じ状態は無いのです。
身近な例だと、プロゴルファーに似ているかも知れません。ショットやパットが面白いように決まる日がありますが、プロゴルファーのほとんどは、そんな理想的なラウンドの後でも、練習場で一生懸命練習します。それは今日のこの理想的なラウンドをつくり出した肉体が、明日の朝、同じ様なバランスで同じ様に動いてくれる保証なんてなにもないという事をよく知っているからでしょう。
オペラ歌手でもイタリアオペラのテノールとなると、他に比べて非常にリスキーな、スリリングな声をいつも求められますから、その時の体の状態によって天と地ほど結果に差が出てくるのです。それがために自分では把握しきれない自分の体、喉の状態、バランスなどを外から判断し、適切なトレーニングでコントロールしてくれる人が必要になってくるのです。
私の尊敬する偉大なテノール歌手にフランコ・コレッリという人がいますが、彼が全盛期ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場で歌っている時、自分の声の調子を保つために、自分の声を一番知っている歌の先生が住んでいるスペインまで毎日電話をかけて、電話越しに「アー、アー、アー」と発声練習を受けながら乗り切ったという話は有名です。
私の恩師、マリア・カルボーネ先生は1950年代まで世界中で大活躍したソプラノ歌手。名テノール、ベニアミーノ・ジーリ、それに作曲家のピエトロ・マスカーニとの3人のコンビは非常に有名でマスカーニのオペラのほとんどをジーリと歌っています。また前述の指揮者ジュゼッペ・パタネが、当時世界的な指揮者だった親の七光りで、幼少の頃にナポリのサン・カルロ歌劇場でデビューした時にもジーリと共に舞台に立っていました。ニューヨークにもたくさん客演して、ハリウッド西部劇のあのジョン・ウェインとは浮名を流した事もあったらしい。
そんなカルボーネ先生が僕をドイツに送り出す時に涙を流しながら言ってくれたのがこの言葉。
先生としては、僕の声と歌をコントロールできる所にいられたら、つまり時には舞台先に一緒に行って僕の声をコントロールできたら、先生がキャリアを積んだような、世界の一流の歌劇場でカズオも活躍できるのにと考えて教えてきてくれたのです。
そんなカルボーネ先生に最後にあったのは5、6年ほど前だったか。ドイツからイタリアに戻り、その後活動拠点を日本に移して、結婚し家庭を作って10数年、イタリアは初めてという女房と娘二人を連れて、久し振りにローマのお宅にお邪魔した。その頃はもう日本から自分の弟子を送ってお願いするような状況になっていたが、久し振りに受ける先生のレッスンは、故郷の実家のお袋料理のように、僕の声、歌を易々と甦らせてくれた。昔の言葉を憶えていたのかどうか聞けなかったが、彼女は誇らしげに言った:「ほら、カズオ!お前の声にはいつでも私が必要、お前の歌は私が創ったものだよ。」ー Kazuo, ricordati ! Tu sei la mia creatura ! –
