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ブログ倉庫1(2005/4-2014/10)

18時45分の開演時間が迫って来た。本番では合唱指揮の他に、司会進行や独唱もしなくてはならない。
自分のリサイタルの時などには、前もってトークの内容を考えたり時によってはしっかり台本を作っておくのだが、その辺の作業は今回最後に回してしまったので時間が届かず結局ソロのための準備もトークの準備もなにもできない状態で時間が来てしまった。
開演の本ベルが鳴って、一人一人に「頑張ろう!」と声を掛けて、緊張の面持ちのメンバーを舞台に送り出す。
指揮者登場してオープニングはシューベルトの「Die Nacht -夜-」である。本来はア・カペラ(無伴奏)の曲、ピアノの伴奏を薄く薄く入れて「Wie shoen bist du –」と歌い出す。男声合唱の一番の特徴である柔らかくて深みのある自然な倍音が広がって一瞬にして別世界となる。いいスタートだ。2曲目、こんどは一転して、激しく音のぶつかりあうアメリカの新しい合唱曲「Let All Men Sing」でバクバクに緊張した心臓から大声を張り上げる。
緊張したオープニングを終えて、震える声で僕があいさつ。そして団員紹介へと進む。
最初はバスとバリトンを、六本木にみんなびっくりの巨大看板を掲げたキャパサイトの仕掛け人、吉田氏(マークス社長)に紹介してもらう。
今夜おしゃべりをお願いしているのは、吉田氏の他にもう2人いる。音楽ナンバーは前もってタイムを大体計っているので計算できるが、おしゃべりというのは正直言って計算できない。かく言う僕が、舞台でのおしゃべりが時間どおりに納められなくていつも延びてしまう張本人なので、もちろん他人のおしゃべりも大体お願いした時間で収まるはずがないとは思っている。
という訳(?)で吉田氏にはかなりはっきり「遊びすぎないで、すーーっと喋って下さい」とお願いして、ポンポンと紹介してもらった。そのマイクを頂いて僕が次の曲を紹介。
「日本の歌・海の歌3部作」と称してピアノ伴奏を務めるうちの奥方が編曲した浜辺の歌、椰子の実、それに九十九里浜の三曲を歌う。
女の声で歌われることが多いが、男の合唱で歌う浜辺の歌もいいものだと感じた。心暖かく椰子の実を歌って、最後は雄壮な九十九里浜。途中の転調が激しくて、我が団のソルフェージュ能力では習得に時間がかかりすぎるので、真ん中の部分をテノールソロにして合唱でサンドイッチにした。ソロを務めるのはお医者さんで、立派なテノール歌手でもある八反丸氏(ペインクリニック八反丸院長)。彼はここ何年も続けて、柔道の日本選手権大会が国技館で行われる時に「君が代」の演奏をしている。今回は、病後の体調の戻らない中での参加となったが立派に素晴しいソロを務めてくれた。
続いてのテノールの2パートの紹介はワインの専門家で我が団の渉外やメンバー拡充に大活躍してくれている橋口氏(ワイン・パートナー社長)におしゃべりを。吉田氏ほどには時間短縮のお願いをしてなかったので、一人一人丁寧にご紹介頂きたっぷり時間を使って頂いた。
楽しいトークに続いて前半の最後は、みんなの思い込みの激しい歌をということで「はにゅうの宿」とヴェルディの「ナブッコ」。ちょっと心配していたとおり「はにゅうの宿」は思い込みが過ぎたと言うか、ちょっと焦点のボケた演奏になったが、次の「ナブッコ」が溺れやすい感情を少し抑えての格調高い演奏となって、前半をとてもうまく締めくくってくれた。休憩15分。
前半をわりとうまく演奏したメンバー達の顔には余裕の笑みが出てくる。これからは僕の方が大変なのだ。急いで(建物の外を通って..!?)楽屋に戻り、上着を着替えながら、付け焼き刃の発声練習を「あー、あー、あー」とやるが声はひっくりかえったままである。しかたない、なんとか歌えるだろう..と、また急いで(建物の外を通って..!?)舞台袖に戻るともう後半の開始である。
後半最初はソロのコーナー。マトゥーリが初めて榎坂スタジオで練習をしたのが5月だったか、あまりに人数が少なくパートもバラバラでハーモニーにならないので、くにたち音大での歌の生徒2人、守部君と清水君を誘って助っ人に来てもらった。その2人が合宿から今回の演奏会までずっと参加してくれ僕的には大変助かった。そこで、まだ2人とも舞台経験がないので、ソロで歌う時間を演奏会の中にいただくことにした。11月の大学の発表演奏会でこの2人があるオペラの2重唱を歌っていたので、それを今回もと思ったが、やはり勉強になるようにと1人づつのソロにしてもらった。伴奏は、やはり僕のところで4年間伴奏をしてくれていたピアノ科の福田さん。オペラっぽいコーナーにしたかったので、クリスマスの曲用にお願いしてあったヴァイオリンとチェロの、こちらも奥方の桐朋学園の生徒2人に加わってもらい、「カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲」から始まり、バリトン2人の初々しいアリアの演奏や、僕のおしゃべりと歌2曲でコーナーを締めくくった。

ここからが今回一番不確定要素の多いクリスマス・コーナーである。ヴァイオリンの中嶋さん、チェロの岡部さんに奥方のピアノが加わってのキャロルのメドレーから始まるが、後にはコーラスのメンバーがリラックスしてポーズしている。舞台の右後と左前にはクリスマスツリーが飾ってある。右後が我が小林家、左前のレーザを発しているのがバスの小栗家のツリー…全て自前、持ち込みである。

メインはリラックスした雰囲気での「クリスマス・トーク」。バスの素晴しい低音の西尾氏に別途台本を渡して、我が団の精神的中心と言うかシンボルと言うか、 70台トリオの赤井、斎藤、三嶋の諸氏から、普段聞けない面白い、貴重な話を引っ張り出すようにお願いしておいた。西尾氏はそんな僕の大きすぎる期待を感じとったのか、本番の2日前の最終練習のあと、急に体調を崩されて、あやうく出演不可能か?という大ピンチもあった。しかしそんな心配も吹きとばして西尾氏は、似合わないトナカイの角を頭にかぶって、片やサンタ・クロースの帽子をかぶった先輩3人に挑んでくれた。結果は本番が一番素晴らしい出来であった。
その後は西尾さんが、同じバスで弦楽器のお店を経営してらっしゃるヴァイオリンニストの小栗氏(バイオリン・レガート社長)を呼び込む。小栗氏は気分良く雰囲気に乗ってくれ、天使の羽根を背中に付けお店の一番高いヴァイオリンを抱えて登場。ビゼーの「アニュス・デイ」を弾き大喝采を浴びていた。
さてここまで来たら大丈夫、あとはフィナーレまで一直線…と、ほんの少し安心してしまったのか、こともあろうプロの僕がここで大きなミスをしてしまった。
ヴァイオリンが終わり、西尾さんのおしゃべりもうまくいってコーナーの最後は、西尾さんの呼び込みによって僕が登場し、アンサンブルを従えての「諸人こぞりて」から「もみの木」の合唱であるが、アンサンブルの前奏から合唱が歌い出すというところで数え間違えてアタックを出せなかったのである。みんな唖然としていて2、3人だけが正しく歌い出した。一瞬「やりなおそうか?」と頭によぎったが、今までの経験から、何もなかったように続けて行くのが良いと判断し、そのまま続ける。一番の後半からはみんなやっと付いて来て、2番になるとそのもやもやを吹きはらうように大きな声で歌ってくれた。ああー、びっくりした!
あとは何もなかったかのように「もみの木」を歌い上げフィナーレの「シェナンドー」を残すのみになった。
団が結成されてからずーっと団の歌「団歌」を探し続けているがまだ見つからない。そんな中で最初からみんなが大好きになったのがこの「シェナンドー」である。アメリカの民謡ではあるが、とても心懐かしいメロディーと男声のハーモニーの雄大さを楽しめる曲であるためいつも練習の最後に歌って終わりたい曲であった。それゆえにこのファースト・コンサートでも最後に残しておいた。今日舞台に上がってくれた全員が歌う楽しさ、歌う喜びを体中から発散させて歌い酔って大成功のプログラムを終えた。
挨拶させていただき押しつけのアンコール「赤とんぼ」を歌ってもみんな帰る様子がない。演奏会に参加したのは舞台上だけでなく、今日来てくれたお客さま達もその仲間だと、みんなで「ふるさと」を大合唱しての終演。時計は制限時間を大きくこえて午後9時を回っていた。
超過料金のことはとりあえず忘れて、来てくれたお客様を引き連れて神楽坂を下った打ち上げ会場へと急ぐ我々には第一級の寒波も心地よい涼しさであった。
お疲れさま、カンパーイ!!

5月の初練習から、月2回の練習を経て夏の八ヶ岳合宿へと。徐々にではあるが増殖を重ね、山小屋での合宿打ち上げパーティーにてファースト・コンサートの計画を全員で決めてからのスタートである。
12月19日、音楽の友ホールを確保し、9月に入ってのそれからは時間との勝負となった。
メンバーの拡充も、演奏曲目の充実もほとんどゼロのような状況からの計画であったため、名前も決まらず当初は「NANASHI男声合唱団」で音楽雑誌への団員募集などもして充実をはかり、コンサート本番の曲目全てを最初から決め、楽譜、練習用MDを配布しての練習開始であった。
9月から10月へと練習回数を徐々に増やし、さらには11月から12月の本番までの間には10回の練習を重ねた。
先週土曜日の最後の総練習でも出演者全員が揃わず、音の取れていない人もいたりという状況でどうなるのだろうかとさすがの僕も心配になってしまった。
でも僕にはある自信があった。それは自分の演奏家としての経験値からくるものであるが、練習の積み重ねは必ず舞台に反映されるという事だ。それを言うなら練習不足こそ舞台ではごまかせないだろうと言われるだろう。たしかにそうである。しかし言いたいのは重々それを認めて、ある程度の演奏の細かいレベルを我慢して頂いたとしても、9月からの20回ほどの練習の積み重ねは、その分しっかり合唱として舞台に反映されるだろうと言う事である。そこに自信を持とうと言いたいのである。
また練習不足の人達にも、その少ない機会に、この歌、その歌の一番大切な所は伝えてある。しっかり憶えていない人は、みんながこう歌いたいんだという雰囲気をしっかり感じてもらっているので大丈夫である。それとまだ総勢21、2名の合唱であるから、おのずと「口パク」や「並んでいるだけ」というメンバーはありえない。まさに一人一人の声がこの合唱団の響きを構成していて、一人も手抜きができない状況である。つまり合唱団が先にあって各々がそれに参加するのではなくて、各々一人一人の歌、声があってそれが集まった結果がマトゥーリ合唱団であるしマトゥーリの響きになるのである。まあともかくも何もないところからの最初とはこうも言い訳ができる気楽さがある。
さて今年一番の大型寒気団に囲まれた19日の月曜日、神楽坂の音楽之友ホールだけは熱気が充満していた。いよいよ我らが「マトゥーリ男声合唱団」のファースト・コンサートである。
暮れの一番忙しい時にもかかわらず、この日だけは午前の11時に集まってもらった。突貫工事ではないが土曜日の最終練習でできなかった一番大事な音楽練習を、まずは確保したかったからである。音楽の友ホールは最近のホール事情から言ったら少し地味であろうか。しかしそのかわり我々向きに響きが豊富なので結局は選択としては良かったと思う。豊かな響きの舞台上で最初のハーモニーを確認すると気持ちの良い響きが耳に戻ってくる。13時すぎまで、初めて立ったままで練習する。
一時間の昼食の後は舞台での細かい動き、並び、出入りからおしゃべりやアンサンブルとの合わせ等で飛ぶように時間が過ぎて行く。合間に桐朋学園の学生2人のヴァイオリンとチェロの練習もみんなで聞く。声の音楽もいいが弦楽器の響きも体中が癒されるようでつかのまであるがリラックスする。アンサンブルを含んだ後半部分を通して練習し、その後に前半部分をおしゃべり等も本番のつもりで通して全てのリハーサルを終了。
気がつくともう開場時間間際、ホール・エントランスの方がなんとなく騒々しくなって来ていた。
<この項、次回に続きます!>

昨日の日曜日、今年一番の寒さで目覚めると、天気予報も山沿いは雪と言っていた。
八ヶ岳の山荘、9月末に行ったまま足が遠のいているが、本格的な冬の前に水周りの処置をしてこないと、水道管が凍って破裂したり、トイレが使えなくなったりなど年越しから正月、スキー等で使うときになって大変なことになってしまう。例年だと11月の始めに一日取ってそれらの処置をしにゆくのだが、今年は温かい日が続いたせいもあって延ばし延ばしにしてしまい、ついには12月に入ってしまった。
山は雪になりそうなので、女房の四駆(CRV)を借りて1人で昼前に出かけた。山の方に車を向けると、山小屋の作業の他にもいろいろ溜っていた用事を思い出してくる。大月の実家に寄って11月に退院した母親の顔を見る事。勝沼の親戚の葡萄園には、宅急便で送れないので取りにくるようにと言われている葡萄液を取りに寄ること。さらには武川村に住む画家の兄夫婦に会って、途中で投げ出してしまった山荘の玄関前の整備作業や物置作りについて相談すること等々。
ひさしぶりのリラックスしたドライブは楽しい。気温は低いが日曜にしては車の少ない中央道を少し眠たげに進む。甲府を過ぎたあたりからフロントガラスが小雨で湿ってきた。そして予想した通り、双葉SAを過ぎ、須玉ICと長坂ICの間の峠を上がった途端から雪模様となる。初雪だ。おもわず駐車帯に車を止め携帯で高速道路を流れる車列に沿って降ってくる今年の初雪を撮る。インターを降りて山小屋に向かう途中から雪はどんどん本格的になってくる。ちょうど紅葉の終わったばかりの樹々、田畑に初雪がいい感じで降ってくる。
オレンジ色の大きな実を重たげに実らせた道端の柿の木に雪が吹き付ける様に魅入られ、しばし芸術写真家か画家になっては、絶妙の構図と、紅葉のグラデーションをバックにした柿のオレンジと雪の白の混ざりあいを楽しむ。

山小屋に分け入るアプローチから真っ白で、そこに車の轍を付けながら到着。夏にペンキを塗ったベランダの深い茶と緑の色が大粒になって来た雪のカーテン越しにとてもきれいに見える。
こうやってひさしぶりに山に来てみると、わずか1ヶ月半か2ヶ月のブランクだが、空気や温度の違いもさることながら改めて取り巻く自然の持つ色や、そのバランスの美しさに感動する。
都会人の習性でついつい先を急いでしまったが高速の駐車帯でも、柿の木の道端でも、そして山荘の正面に止めた車の中でも、そのまま飽きるまで目の前の自然が創り出す名画を楽しんでいたかった。