僕がイタリアに留学するきっかけになったオペラコンクール「日伊コンコルソ」の主催、日本イタリア協会の創始者で、長年日本のオペラ界に貢献してこられた京都の中川牧三先生の出版記念のパーティーが昨夜あった。
昨年「101歳の人生を聞く」というタイトルの、元文化庁長官の河合隼雄さんとの対談集を出版なさり、今年は102歳、もうすぐ12月で103歳になるというのには本当に驚いた。単純な引き算をしてみると、なんと僕とは46歳も違う。
前々からいろいろな機会に聞かせて頂いた中川先生のヨーロッパ留学やご活躍などはすべて僕の生まれる前の話で、それでいながら今でも毎年イタリアとのしっかりした音楽交流を深めながら、日本の若い音楽家の卵達のためにコンクールを続けて、矍鑠とした影響力を発揮しておられる。
僕が初めて中川先生にお会いしたのは、大学を卒業し大学院に入った年、やはり中川先生の大きな影響力を受けられた僕の大学での恩師、田島好一先生に連れられて中川先生の京都の自宅におじゃまして歌を聞いていただいた時だった。
そしてその年の「日伊コンコルソ」で僕は優勝させていただき、留学資金としてアリタリア航空の航空券とオリベッティのタイプライターをもらい、さらにイタリア政府の給費留学生試験に推挙されて、とんとん拍子で留学が決まってイタリアに飛び出していったのを2、3年前の事のように思い出す。
僕のように先生に大変お世話になってイタリアへ送って頂いた音楽家はとてもたくさんいる、イタリアオペラを歌っている日本人の中で中川先生のお世話になっていない人は殆いないだろうと思う。
僕が留学したのが22歳の時でそれから現在まで、日本に帰って来てからも、節々で大切な時に中川先生にはお世話になり、先生から直接たくさんのお話を聞かせて頂いてきた。
そういった時は殆がどうしてもその時々の歌、歌い手の話題になり、それらも非常に大切な助言として胸にたくさん残っているのだが、僕の聞いた中で一番感動したお話は、本にも新聞などの連載などにもよく紹介されたエピソードだが、「一緒にイタリアでオペラを見て感動した近衛先生から、このオペラを日本に持って帰って根付かせなさいと言われてオペラの世界に入った」という話です。
正に感動するのは、先生はその若き音楽家時代の夢をそのまま実際に実現して、日本にしっかりとオペラの華を根付かせ、広めて、今も初志貫徹で同じ夢を追い続けているその姿を見せてくれていることです。
10年ぐらい前だったろうか、90歳を越えましたと言いながらも、肌つやも血色もとても良く元気なのを見て、どうしてそんなにお元気なんですか?と尋ねた僕に、先生は隣にいた若い女性の手を先生の大きな両手で包み込んで「こうやって若いエキスをもらってるんだよ」とさかんにスキンシップをしながら笑って答えられていたのを情景ごとよく思い出す。
もっともっと先生から沢山のお話を聞きたいと思う。

11
10月
