5月の初練習から、月2回の練習を経て夏の八ヶ岳合宿へと。徐々にではあるが増殖を重ね、山小屋での合宿打ち上げパーティーにてファースト・コンサートの計画を全員で決めてからのスタートである。
12月19日、音楽の友ホールを確保し、9月に入ってのそれからは時間との勝負となった。
メンバーの拡充も、演奏曲目の充実もほとんどゼロのような状況からの計画であったため、名前も決まらず当初は「NANASHI男声合唱団」で音楽雑誌への団員募集などもして充実をはかり、コンサート本番の曲目全てを最初から決め、楽譜、練習用MDを配布しての練習開始であった。
9月から10月へと練習回数を徐々に増やし、さらには11月から12月の本番までの間には10回の練習を重ねた。
先週土曜日の最後の総練習でも出演者全員が揃わず、音の取れていない人もいたりという状況でどうなるのだろうかとさすがの僕も心配になってしまった。
でも僕にはある自信があった。それは自分の演奏家としての経験値からくるものであるが、練習の積み重ねは必ず舞台に反映されるという事だ。それを言うなら練習不足こそ舞台ではごまかせないだろうと言われるだろう。たしかにそうである。しかし言いたいのは重々それを認めて、ある程度の演奏の細かいレベルを我慢して頂いたとしても、9月からの20回ほどの練習の積み重ねは、その分しっかり合唱として舞台に反映されるだろうと言う事である。そこに自信を持とうと言いたいのである。
また練習不足の人達にも、その少ない機会に、この歌、その歌の一番大切な所は伝えてある。しっかり憶えていない人は、みんながこう歌いたいんだという雰囲気をしっかり感じてもらっているので大丈夫である。それとまだ総勢21、2名の合唱であるから、おのずと「口パク」や「並んでいるだけ」というメンバーはありえない。まさに一人一人の声がこの合唱団の響きを構成していて、一人も手抜きができない状況である。つまり合唱団が先にあって各々がそれに参加するのではなくて、各々一人一人の歌、声があってそれが集まった結果がマトゥーリ合唱団であるしマトゥーリの響きになるのである。まあともかくも何もないところからの最初とはこうも言い訳ができる気楽さがある。
さて今年一番の大型寒気団に囲まれた19日の月曜日、神楽坂の音楽之友ホールだけは熱気が充満していた。いよいよ我らが「マトゥーリ男声合唱団」のファースト・コンサートである。
暮れの一番忙しい時にもかかわらず、この日だけは午前の11時に集まってもらった。突貫工事ではないが土曜日の最終練習でできなかった一番大事な音楽練習を、まずは確保したかったからである。音楽の友ホールは最近のホール事情から言ったら少し地味であろうか。しかしそのかわり我々向きに響きが豊富なので結局は選択としては良かったと思う。豊かな響きの舞台上で最初のハーモニーを確認すると気持ちの良い響きが耳に戻ってくる。13時すぎまで、初めて立ったままで練習する。
一時間の昼食の後は舞台での細かい動き、並び、出入りからおしゃべりやアンサンブルとの合わせ等で飛ぶように時間が過ぎて行く。合間に桐朋学園の学生2人のヴァイオリンとチェロの練習もみんなで聞く。声の音楽もいいが弦楽器の響きも体中が癒されるようでつかのまであるがリラックスする。アンサンブルを含んだ後半部分を通して練習し、その後に前半部分をおしゃべり等も本番のつもりで通して全てのリハーサルを終了。
気がつくともう開場時間間際、ホール・エントランスの方がなんとなく騒々しくなって来ていた。
<この項、次回に続きます!>

21
12月
