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ブログ倉庫1(2005/4-2014/10)

僕はイタリアに留学しイタリア音楽を学びイタリアでの成功を夢見ていた.そんな僕にとってアルプスを越えてドイツ、オーストリアに職を求めに行くのはまさに「都落ち」であった.留学して早々に襲ったオイルショックからの経済不況下のイタリア事情や、個人的にも留学資金が底をつきイタリアどころかヨーロッパにとどまる事さえ難しくなってきた状況で、僕はドイツに職を求め1975年から77年までの2年間、オペラ歌手としてオールデンブルグの町に生活した.
初めての印象はとても美しい町だった.働く事になった国立劇場も美しく、昔のオールデンブルグ侯爵のお城の敷地内の、これまた美しい池の傍に立つ真っ白な劇場だった.町自身もこじんまりとしていてとても清潔感の漂う町並みで、お金のない貧乏歌手はよく町中を散歩した.「交響曲・不滅」の本の中にも町の写真が出てくるが、主人公達の家族が洋服屋を営んでいた小さな広場に面した一角もよく通ったし、彼らが町を捨てる事になるきっかけとなったナチス・ヒットラー達が集会をしたという馬市場(Pferde Markt)もよく散歩した.昔はこの馬市場が町の中心産業で、よく「ここは馬市場だからここの女性もお尻がとても大きいんだ…」と町の人達から聞いた.
僕は町の中から郊外、そこら中を歩いた.でも僕にはどこがどうだったか細かい記憶がほとんど残っていない.自分が歌うべきイタリアの地から離れてしまい、劇場のレベルのわからないような小さな町から、どうはい上がったらいいのかわからないまま悩んでいた.不安を取り除く為せまい部屋から外に出て何でもいいから歩いていた.失意の自分の心の中ばかり見ながらほとんど上を向かなかったのだろう本当に町の景色を記憶に残していない.
北ドイツにはとてもしっかりした個人主義が発達していて我々のような異邦人を受け入れてくれるのはほんの一握りの人たちだった.さらにこちらが独身の若い男となるとまずは家庭単位で受け入れてくれなかった.そんなわけで友人も少なく世界中から取り残されたような気持ちで毎日の生活をしていたような気がする.北杜夫の「フランドルの冬」に出てくる主人公さながら、寒い雪の町外れで宿を探して歩く自分の姿をなんども夢に見、自分の境遇に重ね合わせていた.<続く>

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