Blog TenorCup

ブログ倉庫1(2005/4-2014/10)

Kanro-Kunitachi-008声を専門に使う人のためのカンロ「ボイスケアのど飴」、その開発は国立音楽大学との産学共同のストーリ-、「Wのキセキ~カンロ×国立音楽大学~」の再放送が決まりました。
放送・公開時期は下記の通りです。

ANA機内での上映予定
・国内線 2014年11月〜 1か月間
・国際線 2014年11月~ 4か月間(2015年2月まで)

○ANAウェブサイト ANA Media Stationでの公開予定
https://www.ana.co.jp/mediastation/
2014年12月〜 2か月間(2015年1月まで)

昨年の公開時に観そびれた方は、この機会を逃さないでお楽しみください。

boisukeanodoameいまや口コミから職業歌手達の定番になった「ボイスケアのど飴」、「カンロ株式会社」と我が「国立音楽大学」の産学協同での開発が実ったヒット商品。 その共同開発の模様が全日空ANA提供の番組「Wのキセキ」に取り上げられて、この7月1日から登場します。 カンロの商品開発部の片桐さんと、大学の方は私と、私が指導する大学院オペラ・コースの学生達が実際にドラマ作りに参加して出来上がりました。 放映は: 1)全日空ANAの機内での放送(国内線は1か月、国際線は4か月間放送) 2)全日空ANAのウェブサイト「ANA Media Station」 http://www.ana.co.jp/mediastation/movie/  -訂正- 配信時期は、機内上映より1ヵ月遅れで2か月間(2013.8.1~9.30)の予定。 さらに、 3)スカパー・ケーブルテレビの「フーディーズTV」http://www.foodiestv.jp/ でも放送 (初回は7月3日午前11:30~、その後、1か月間、毎週水曜日午前11:30~、毎週日曜日午後11:00~放送予定) ぜひ観て、感想をお寄せ下さい

例年と同じように今年も8月6日から9日まで、山中湖はペンション「シルバー・スプレー」にて、クラスの夏合宿が行われた。
年々、自分と学生たちの年齢差が広がってゆくせいか、自分が先頭に立ってレッスンから遊び、BBQまでという接し方から、最近では、学生が計画し進める合宿に参加するという風に変わりつつあるのが少々淋しい。しかしそんな予想を覆すように今年は、卒業した先輩たちが元気よく参加してくれ、のりの悪い在校生たちをしっかりサポートしてくれ、盛り上げてくれた。考えてみれば、私の大学での仕事もあと2年半、今教えている下級生たちなどはその卒業まで教えきれないことになる。そんなことを考えると余計に教える目標がどこかへ行ってしまうので、今回合宿に参加してくれて秋の大学院入試を受ける何人かに頑張ってもらって、最後の2年間、楽しいレッスンをしていきたい。

2012クラス夏合宿in山中湖

團先生が2001年に亡くなられてから、その残された資料の整理をと「團伊玖磨アーカイブズ」が組織されたが、そこが力を注いで制作した「團伊玖磨合唱作品集」CDの第1弾「長崎街道」が遂に完成し、発売される。
詩人・辻井喬との出会いから生まれた連作「日本の道」シリーズは、合唱曲としては異例の、朗読、ソロ・ソプラノ、ソロ管楽器を加えた斬新な編成で新境地を拓き、その中でも「長崎街道」は「木曽路」、「紀州路」に続く第三作として、1986年に作曲された珠玉の作品である。
CDの収録は、2008年6月12日、東京・津田ホール、朗読:小林一男、ソプラノ・ソロ:澤畑恵美、フルート・ソロ:大和田葉子と、團先生と関わりの深かった演奏家に、永井宏指揮の国立音楽大学合唱団を加えた布陣でのライブ録音!
日本作曲家専門レーベル「スリーシェルズ」(http://3scd.web.fc2.com/)にて現在、先行発売中!(正式発売日:3月18日)

昨日は大学の入試2日目。セーラー服、学生服姿の受験生達の、若くて元気のある歌をたくさん聞き、彼らが大学内で大活躍する姿をイメージして楽しくなった。それでも一生に一度の入学試験、失敗しないように、ミスの無いようにと、受験生も試験官も大変緊張しての何時間かには正直大変疲れてしまった。

そんなに疲れながら、昨日はその後、夜からオペラ「友人フリッツ」の立ち稽古があった。

入学試験中は大学構内が立ち入り禁止になり、校内施設が使えないため、オペラの稽古会場も学外に出て探すことになった。スタッフが探してきたのが、大学からちょっと離れた地域センター内の学習室。老人や子供の声が響き渡っている中、スリッパに履き替えて小学校の教室のようなかわいい空間に皆集まった。

友人フリッツの物語は、南フランスはアルザス地方の農村風景の中に展開されてゆく。農園の地主で独身のフリッツと、その農園の小作人の娘スーゼルの純愛を描いている。昨夜は主なキャスト5人が集まって、演出家の指示に従って、お芝居を作ってゆく、立ち稽古が行われた。セリフ代わりの歌と音楽をだいたい憶えた状態で、実際に動きを付けながら歌を歌い、他のキャストとの芝居を作ってゆく。

私の昨夜の役は、副指揮者。本番の指揮者の代わりに、このような演出主体の初期の立ち稽古で、オーケストラ代わりのピアノと、舞台上の歌手達を指揮する。しかしこの段階ではまだまだ初期なので、指揮をしながら歌手達に歌の入るタイミングだとか、歌の最初の言葉などのきっかけを出してあげるのが大きな仕事となる。全3幕あるうち1幕と2幕分の基本的な動きを付けた。

このような稽古が何回も続けられ、芝居も歌も練り上げられていく。さすがに夜9時までの練習は久しぶりもあって疲れたので、早々に「お疲れ様!」をして帰宅。

今日からの10日間で物語と音楽に素晴らしい息吹が吹き込まれてゆく、乞うご期待 か!

 

明日から入学試験が始まる。世の中の不景気を反映してか、音楽を目指すにしても手に職を付ける方がいいと、声楽離れが進んでいるのだろうか。例年3日間かかった入学試験が今年は2日間に短縮。内容のいい学生達が集まればいいかと思うしかない。

さて音楽研究所がオペラ公演を始めて昨年度はプッチーニ「つばめ-La Rondine-」を上演、大変大きな反響を頂いた。

今年度は研究の続いているイタリア・ヴェリズモ・オペラの中心的作曲家、ピエトロ・マスカーニの「友人フリッツ-L’Amico Fritz-」を取り上げ、普段は何もないこの年度末、3月に上演する。指揮、演出はプッチーニと同じ河原忠之、中村敬一が担当。イタリアオペラなどまるっきり初めてという学生中心のオーケストラを率いる難しさ、少ない予算でオペラらしく舞台を盛り上げる難しさ、両人の頭脳を絞りきったスーパーなパフォーマンスを期待したい。

声楽陣には国立出身の若手の歌い手先生方が新鮮なマスカーニを描き出してくれるだろう。このプロジェクトに研究参加している大学院生や外部受講生達によるソリスト、合唱もその熱気を帯びた演唱が楽しみだ。

3月5日、土曜日、15時開演、立川市柏町5-5-1、国立音楽大学の講堂大ホール。入場無料はぜひチェックされたし。

 

昨日までと違って今日は各々の予定に従って別れてゆきます。

一番早い人はソプラノの齊藤さん、午前5時に出て電車でジェノヴァ-Genova-まで行き着き、約束してある先生の元でのレッスンに励むという計画。

来た時の我々の6人グループは、一日遅れで帰られる森田先生を除いて5人で、昼前のボローニャ空港発のアリタリアでまたローマ経由で帰る予定、成田着は日付が変わって2日の朝になる。

今日もう一日この宿に残る人もいて、朝の食堂では歯抜けの状態だったが、顔を見られた全員と東京での再会と旅の無事を祈りあって挨拶を交わす。

さてこれで私が目指した最初の、最低限の種まきは終わった。どう育ってゆくのだろうか?

 

演奏会本番の朝を迎えてボレッリ館の最上階の我々グループだけの朝食用の部屋は閑散としていた。みな本番の日の過ごし方をそれなりに持っていて、バラバラに起きてくる。2週間この部屋での朝食をなるべく全員、一緒にとってその日の予定の確認や、連絡を行ってきた。出てくる朝食は決まっていてコーヒー、ミルク、水の飲み物と、パン、ビスケット程度しかなかったので、みんなで持ち回り制で買い出しを行って、ヨーグルト、ゼリー、果物、チーズなどを絶やさないようにしてきた。今日は最後なので今までの買い出しの分も含めて、ペンション代金や諸々の清算をしあった。食事の後で事務所に顔を出して宿泊代金の支払いを済ませた。オーナーの女性に学生たちからお礼の心をこめて風鈴を差し上げたところ大変喜ばれていた。

さて演奏会の前という切羽詰まった雰囲気の一方で、ボローニャ滞在も最後の日となったので、お土産や買い物の用事を済ませようと昼前から街の中心部に出掛ける者達もいた。買い物の人気はやはりボローニャの食に関したものが多く、ワイン、チーズやヴィネガーなどからチョコレートなども買っていたようだ。また夏休みに入る今は、一年の中でも、クリスマス、復活祭と並んで大きなバーゲンセールの時期で、夏ものに限らず冬ものも店頭に並んでの洋服、靴、バッグなどはかなり買い得な時期である。私も食関係は空港で買う事にして家族の女性たちへのお土産を物色に出掛ける。その後みんなは、午後9時の開演という夏のイタリア時間でのコンサートの前、3時をめどにSOIに集まり、部屋を借りて声出しをしたりして準備する。

今回のこのコンサートはボローニャ歌劇場のすぐ、はす向かいにあるサンタ・チェチーリア修道院-Chiostro Santa Cecilia-の中の歴史的な礼拝堂を使って、「ボローニャの夏週間-Bologna Estate-」の中の「サン・ジャコモ音楽祭 –S. Giacomo Festival-」の特別コンサートとして作っていただいた。この音楽祭はこの修道院を修める神父さんを中心に毎年行われているもので、今年も3月に始まって9,10月まで続いていて内容的にも大変バラエティに富んだ演奏会が並んでいる。私達の音楽会は「東京・国立音楽大学の学生による演奏会-Recital degli Allievi del Kunitachi College of Music di Tokyo-」と発表されていて、はっきりと国立音楽大学の名前をボローニャでアピールでき、学生達にとっても発奮の良い材料であったと思う。

このコンサートの伴奏をしてくれるのは、SOIのコルペティ・コースに在籍する岩淵慶子さん、玉川大学を卒業してから声楽の伴奏を極めたいと単身でミラノに留学し、そのままミラノ・G.ヴェルディ音楽院で、それこそ私の音楽院時代にクラスの伴奏をしてくれていたピアニストで、今や副学長クラスになっているというルイージ・ザナルディ-Luigi Zanardi-氏の元で学び、昨年のオーディションに受かってSOIで研修中という女性で、大変献身的に伴奏合わせ、リハーサルと本番を付き合ってくれた。セミナーの最初から彼女は顔を出してくれていて、演奏会の骨格が決まり始めた最初の週の金曜日頃からは、声楽のレドーリア先生のレッスンの伴奏、通訳も手伝っていただいていたので、みんなとても信頼を寄せて、曲目決定の相談から個人練習の伴奏などもやっていただいていたようです。

よくよく偶然だとは思うが世界は狭い。彼女はヴェルディ音楽院修了後、ミラノで、私の長い友人でメトロポリタン歌劇場の主要バリトン歌手として活躍した、ジョルジョ・ロールミ-Giorgio Lormi-氏の歌のレッスンでの伴奏者として昨年まで弾いていたというのです。ロールミ氏からのメッセージを預かってきた彼女の携帯電話で久しぶりに彼と話し、期間中に再会をと願ったのですが、残念ながら他の機会にせざるをえなかったのは返す返すも心残りであった。

さて日本だともう夜の演奏会が始まろうかという午後7時前に、修道院にみんなで移動して、さっそく最終のリハーサルを行う。アリアはずっと練習してきたのでちょっと歌い出しだけでも合わせればよいのかと思っていると、みんなちゃんと本番バージョンで歌い出した。やはり若いなあ、元気だなという感じか。修道院の中の礼拝堂という事でいつものコンサートホールなどとは違うので、出入りから立ち位置、退場などを指導し、3曲あるアンサンブルの簡単な演技の場所決めなどを手伝う。開演1時間前でリハーサルを終了し、みんなを楽屋に閉じ込めて、入り口に森田先生と回ってみる。続々とお客さんが集まってきていて、最後まで世話をしてくれているSOIのL.ロマスコ女史と、今日の司会をしてくれるというやはりSOIの男性が、二人して「この調子だと満席になるかもしれない」と驚いて話しかけてきた。開場を待って並んでいる中には一般のイタリア人のお客さんに混ざって、小谷さんを囲んでSOIの歌手達が大きくグループを作ってい、他には今日歌う学生の家族の方らしき人達と、現地在住らしき日本人たち、何人かは国立の卒業生も混ざっている。時間が迫り開場され、開演時には150名程度のキャパの礼拝堂が見たところ一杯という感じになった。

bologna316一人ひとり、とても頑張って良く歌ってくれた。お客様の反応も大変暖かく、みんなそれがとても力になったようで素晴らしい笑顔を持ってフィナーレを迎え、演奏会が終わった。みんな堂々として一列に並んだカーテンコールが何回か続き、最後にSOIから一人ひとりに、今回のセミナーの修了証、ディプロマが手渡され、それを誇らしげにかざしながらの記念撮影で演奏会を修了した。参加した学生達11名、伴奏の岩淵さん、私と森田先生、SOI側の小谷さんと歌手達、ロマスコ女史、それにに加えて、駆けつけてくれた日本人の方々、みんな入り乱れて、本当にこの場を去りがたく名残惜しげにいつまでも礼拝堂の心地よい深夜の冷気に浸っていた。

 

さてさて、あれこれするうちについにSOIでの最後のレッスン日となった。スパルティートのタラメッリ先生、発声技術のレドーリア先生、演出演習のビアンキ先生の3部屋とも、明日のコンサートで披露する曲、演目について最後の集中したレッスン、演習が時間ぎりぎりまで使って行われた。そして最後に先生と記念に写真を撮り、お礼のプレゼントを渡し、一人ひとり言葉をかけてもらい、将来での再会を約束して、先生方を入り口までお送りして別れた。先生方の表情にも、そして我々の各々の学生の表情にも、なにか一つやり終えたという一種安らいだ雰囲気が漂っていたのがうれしかった。いよいよ明日は最後のエクストラ、修了コンサートの本番、うまく歌えなければ日本に帰れない..とでも思っているのだろうか。楽しみだ。明日に控えて学生たちは早く宿に帰ってゆっくり休むことにする。森田先生と一緒に、明日の演奏会の後の打ち上げの下見ということで、過日見つけたワインとチーズのとても美味しいお店に行く。観光客の集まるボローニャのど真ん中の路地をすぐ入ったところに古くからある、いわゆるボローニャ地方のお惣菜屋さんで、チーズ、サラミなどを始めとして地元の食材を量り売りで売っていて、昼間はお客さんで常に一杯になっているところ。最初に劇場でオペラを見た後の夜半、お腹が空いた何人かを連れて森田先生とピッツェリアを探していて、この店の裏口を覗くと5,6人が薄暗い店内でワインを飲んでいるのが見え、恐る恐る入ってみたのが最初で、そこで飲んだ地元の名ワイン、サン・ジョヴェーゼ-S.Giovese-と、巨大なお皿に山盛りで出てきたあらゆる種類のチーズ、モッツァレッラ、サラミなどが異常に美味しくて夢中になってしまったお店である。2回目の今日も予想にたがわず美味しかった、満足!

 

マッテウッツィ先生のマスタークラス・レッスンが終わってピークは過ぎたかとも思ったが、今日からは最後の日の修了コンサートの準備をしながら各々がこのセミナーの仕上げにかかってゆく。セミナーの総仕上げという事で、声楽レッスンのレドーリア先生、スパルティートのタラメッリ先生、音楽副指揮のパーイス先生、それに演出のビアンキ先生の皆さんの意見を聞きながら、私と森田先生、それに事務局のラウラ・ロマスコ-Laura Romasco-女史でコンサートのプログラミングをする。学生11人中ソプラノが7人と多く、後はテノール1人とバリトン3人、各々に一番成果の上がったと思うアリアを1曲づつ歌ってもらい、あとオペラ・アンサンブルも組もうと思うのだが、人数が多すぎ、アリアでもう大分時間を使っているので、うまく3,4曲を組めればと考える。ソプラノ同士の重唱はほとんど見つからないので、自然とソプラノとテノール、バリトンとなり、おのずとテノールの負担が大変重くなるため、通訳で手伝ってくれている弟子のテノール、渡辺康君にもアンサンブルだけ手伝ってもらおうという事になった。彼はタラメッリ先生のスパルティートのレッスンの通訳を多く担当してもらっていて、その際とても気さくに色々なシーンのテノールパートを手伝って歌ってくれていたのでちょうどいいという事で、本人も出たいというので事務局にお願いして出演が決まった。結局、アンサンブルとして組み込むことにしたのは、1)「愛の妙薬」の二重唱 “ほんの一言、アディーナ!-Una parola, o Adina-”を増田さんのアディーナ-Adina-と渡辺君のネモリーノ-Nemorino-で、2)「ランメルモールのルチア」の二重唱 “こちらにおいで、ルチア-Appressati Lucia-”を大武さんのルチア-Lucia-と大島君のエンリーコ-Enrico-で、それに最後に「ラ・ボエーム」の3幕の四重唱 “さようなら、甘い目覚めよ-Addio, dolce svegliare-”を宮下さんのミミ-Mimi-、志田尾さんのムゼッタ-Musetta-、加藤君のロドルフォ-Rodolfo-、村松君のマルチェッロ-Marcello-で飾ろうという事でプログラムが決定。各人に伝え、準備などを指示する。2週間分の重たい荷物の中にしっかり詰めてきたであろうステージ衣装の確認もする。夜には先週のオペラ公演シリーズのもう一つの次の公演が初日を迎えるという事で、これもみんな揃って観れる事になり劇場に出掛ける。今年のシリーズのテーマという事か、今夜の出し物もペルゴレージのインテルメッツォ「リヴィエッタとトラコッロ-Livietta e Tracollo-」とオッフェンバッハのオペラ・コミック、「シュフルリ氏は在宅.. -M. Choufleuri restera chez lui..-」の組み合わせで大いに楽しむ。特にオッフェンバッハの「シュフルリ氏は在宅..」という風変わりなタイトルのオペレッタは抱腹絶倒の面白さで大変楽しめた。内容はまさにドタバタ喜劇で、小金持ちのシュフルリ氏の夢だった有名な歌手を呼んでの自宅パーティーでのコンサート、招待状に答えた友人や客が集まる頃になって、3人の歌手に揃ってキャンセルされ困っていると、娘から妙案が…結婚したいと思っている恋人は作曲家、彼に助けてもらいましょう…二人の付き合いをまだ認めていないが、わらをもつかむ思いのシェフルリ氏の前に、…現れた恋人、自分とパパと娘を有名歌手に仕立て上げます。ここからがこのオペレッタの一番面白い所、抱腹絶倒のイタリア・オペラのパロディーが始まるのです。ヴェルディ風はもちろん、ロッシーニ、ベッリーニ、パイジェッロ、他、バロックオペラ風から、レシタティーボ、アリア、アンサンブル等々、いかにもイタリアオペラ風に大げさに見えを切りながら、3人が即興でとっかえひっかえお客の前で、これでもかとパロディーを繰り広げるのです。見ながら考えてしまったのは、この曲自体はフランス語で書かれていて舞台は定かではありませんがフランスでしょう。その中のフランス人達を、今回はSOIの主にイタリア人達が演じているわけで、つまりはフランス人がイタリア人のイタリアオペラをパロディする風景を、イタリア人がフランス語を使って演じているということになります。どういう風に考えて、自分達の芸術、それも自分がそれで名を成そうと努力してるイタリアオペラそのものを、パロディ化しているものを演じようとするのか、とても興味のそそられる疑問で頭がいっぱいになった。