5月3日、ゴールデン・ウイークの真っ最中に小林家にやってきました。山梨は笛吹町のボランティアさんのところに居たんですが、ネットの里親募集に応募した小林さんにもらわれてきました。
生まれたのは3月23日、お父さんは分からないのですが、お母さんはセッターでした。5頭一緒に生まれて、2頭いたメスの1頭です。
ボランティアさんのところでは「マーリンちゃん」と名前をつけてもらっていたので、小林家でも正式に「マリン」と呼ばれることになりました。その他、寝ているときに自然に「グー!」とお腹が鳴るので、「グーちゃん」とも呼ばれています。
ここに来てそろそろ2週間ですが、最近写真をみた知り合いから「もしかして、ジャック・ラッセル・テリアが混ざっているのでは..」と言われて調べたところ、確かに外見的にはジャック・ラッセルの血が濃いようです。
今日は日曜日で、長女が旦那さまを連れてマリンを見に来ると言っています。かわいい子犬のうちに見ておかないと..などと言っています。
丸2ヶ月が過ぎたので来週には動物病院に連れて行き、2本目のワクチンを打ってもらい、そろそろ外の散歩に連れていっていいか尋ねてくる予定です。
食事の後の運動が室内では不十分で大騒ぎしていますので、早く外に連れていかなくてはという感じです。
成田のJALを辞め青山で働いていた長女は、昨年暮一杯でその輸入家具屋さんも、自分のイメージしていた職場とは違ったようで辞めてしまった。
そして今は新宿の高層ビルの中のアメリカの化粧品会社に一般職として勤め、昨年のあれは何だったのだろうとおもうくらい平和に家から毎朝通っている。
定時で終わり、土日が必ず休めるというのが、もともと家庭的でおっとりしたところを持つ長女にとって居心地が良いようだ。
が、その分と言うのか、土日はほとんど遊びに出たままなかなか家には帰ってこない。
つきあいの長いボーイフレンドがいて、土日も仕事というその彼の細かい世話をしによく行っている…と女房が言っていたが、どうだろうか。あまり毎週末ごとにかいがいしくされても彼の方も欝陶しいだろうに…と男としては気になって考えてしまう。
「でももう今年中には…」などともっと気になる事を女房が正月から言いはじめて、僕のいないところで長女といろいろ相談しているようだ。(この疎外感は何だ! ブツ..ブツ..)
一方今度大学4年になる次女は、相変わらずクールにマイペースである。
高校に入る時にヴァイオリンを諦めさせて音楽から足を洗ったかに見えていたが、かえって我々親のような堅苦しいクラシックではなく、自分達の同年代の好きなサウンドに目覚めてしまい、ヘビ・メタから始まって、高校、大学通してずーっとバンドの活動がメインだったようだ。
高校最後の年の学園祭ではじめて彼女のバンドのステージを見てびっくりした。確かに絶対的な音のボリュームが大き過ぎて、最初は拒絶反応をおこしかけたのだが、我々の頃の貧乏な、へたくそな、マネ事なバンドとは違って、しっかりしたテクニックで、音楽としても全然真似でなく、主張もあるし、聞かせる所もあって、最後の頃には辺り構わず大きな拍手をするほど感心したのを思い出す。
大学に入ってからはそのバンド活動のリーダー役を自ら買って出て、作曲、アレンジ、歌、ヴァイオリン、ベースなどの演奏から、CDのデザイン、製作、販売、はてはHPも立ち上げてライブ活動に熱中し、かなりメジャーなステージにも立っていて、今や知るところではそれなりのアーティストのようだ。
ただそんな彼女も今は就職活動の真最中である。
夜遅くまで部屋で願書や資料作りをして、朝になるとリクルートスーツに着替えてやれ面接だ、会社訪問だと騒いでいる。
硬い法科政治学科に学んだのだが、どうもマスコミ、出版関係が狙いのようである。一般職狙いといっているので、卒業してもバンドを続けて行くつもりのようだ。
この娘の就職が決まって晴れて大学卒業となれば、一応我が家も目標としてきた大きな節目にたどり着くことになる。
そこにたどり着いたら今度は少し自分達夫婦の長くしまっておいた夢を取り出して眺めて見ようかと思っている。
秋になるのがこんなに早いとなにも追い付かない。山に行ってやっと大工作業を見つけて材料を買ったのにそれ以来山に向かって車を走らせられない。病院に入っているお袋にもあれ以来会いに行けない。なにが忙しいのかわからないが家から離れられずに毎週末を過ごしてしまった。昔は代々木猛虎会で大興奮していたあの阪神が優勝し、松井のヤンキースが優勝しても、いったいどこの話なのか全然実感がない。
と思うと、一年間成田での寮生活を頑張った長女が9月一杯でJALを辞め家に出戻って来た。家の4WD1台で事足りた入寮のときとは違って出戻りの時には同じ車で2回往復してやっとぎりぎり荷物が乗った。そして10月1日、やる気満々で青山の新しい職場に飛び出していった。やっぱり家族一緒がうれしいらしい、僕等もうれしい。持って帰ってきた荷物(ゴミ?)はお祖母ちゃんの部屋だった所に山と積まれて向うの窓が見えなくなった…今年一杯このままか?
その上、先週からサーバの調子が悪くなり、この週末はOSの再インストールからサーバの再構築でほとんど部屋に籠ったままで過ごした。
あ、あ、明日からもうちょっと健康的に生活しましょう、はい!
23日には久々のリサイタルも控えているのですよ、しっかり準備に入らなくては。
我家の今夏の大ヒットは竹シーツ。今まで何となく夏になると名前だけは聞いていたがうちの奥さんが今年、東急のカタログで安いのを見つけて買い求めた。
夏の夜の寝苦しさはクーラーの使いかたをどう工夫しても今一で、寝始める頃と、朝の起きる前、酷いときには寝入ってから蒸し暑さや寝汗でまた起きてしまう…と惨々なのだが、なんとなんとこの竹シーツはそんな悩みを本当に一発で解決してしまう優れもので、感動しています。
ちょっと大きいマージャン牌位に切った孟宗竹をシーツ状に敷き詰め、テグスなどで繋いだもので、ベッドの上や、敷布団の上、またはそのまま直に床の上に敷いて使う。家ではベッドのアンダーシーツの上に広げて寝る。ともかく肌を直接乗せてベトつかないし、竹のひんやりとした感触は良いし、竹が熱を蓄えないので、寝返りを打っても肌に触る部分がいつも涼しい。むかし真夏の学校での合宿、熱帯夜の寝苦しさに飛び出して、窓を空け放って寝た廊下の床のひんやりした涼しさを思い出す。
とにかくこれは最高。快眠保証。

効能やポイントはこのページがわかりやすい:http://www3.ocn.ne.jp/~futonya/take.htm
僕のすすめで長女が最近ブログをはじめた: sari sari
成田市内の寮生活で、朝5時に出勤し空港第1ターミナルのJALカウンターにいるのだが、最近は系列のシンガポール航空に手伝いに出ているようだ。そこの外国人スタッフ達と仲良くなって、ラウンジで豪勢なお茶会をして盛り上がっている話しは聞いていたが、今は七夕にあわせて笹の飾り付けをしてみんなでゆかたを着てサービスしているらしい。遠いのに時間が空くとよく我が家に帰ってきては愚痴をこぼして、すぐにでも辞めたい様なことを言い、親としてはハラハラして見守っているのだが、こうやって屈託のない笑顔で仕事をしている様子をみるとほっとする。たしかに成田の寮での生活は厳しそうで、ずーっと親元から離れたことのない東京っ子にとっては何もない離れ小島に流されたような気分であろうし、若いうちにもっとやってみたいこともたくさんあって焦燥感にとらわれるだろう事もわかるような気がするが、もともと好きで希望していたところで今仕事をしているのだから、寂しさはもうちょっと我慢して頑張って欲しいと思う。そんな願いを成田の短冊に書き込みに行きたいのはただの親バカであろうか。
寮生活をしている長女が一昨日から休みで帰っていて今日の夕方また帰っていった。昨日は一日中友達とドライブとかいって深夜に帰ってきた。話を聞くとホタルを見てきたという。
もうホタルが見れるんですね?
感覚的には真夏の頃かなと思っていたけど今頃からもう飛び始めるのかもしれない。
ホタルって僕等が少年だった頃、つまり昭和の30年代にはまだちょっと川の近くに行くといっぱい見れたけど、その後ずっと田舎を離れたりしてすっかり忘れてしまっていた。また今は本当に限られたところにしか残ってないとか、絶滅に近いとか言われて、夏に山や田舎に行ってもほとんど見ることもできないし、気持ちの中でもあきらめているせいもあっていつ頃からか、ホタルの習性だとか、いつ頃飛び始めるとかいった細かい事もすっかり忘れちゃってる。昔はトンボだとか、セミだとか夏の虫とか生物なんかに関しては非常に詳しくて自信を持っていたのに、今回のホタルの話を聞いて少しそんな面でショックを受けた。
でもホタルの飛び交う光景や、夏の夕方や夜の、あの昼の暑さから開放された涼しい情景っていうのは、いくつになっても帰って行きたい一番の情景で本当に懐かしいな。
たしか長女が行ってきたのは伊豆の方だと言っていたので、詳しい情報をもらって女房と次女と3人で行ってみようと思う。
それから始めたばかりの長女のブログにその時のホタルの写真を載せてもらうよう頼んだ。