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ブログ倉庫1(2005/4-2014/10)

縁あって先月からオープンした新しいITの就職転職サイト「キャパサイト」内に私の拙文のスペースを頂いている.その中の「就職相談Q&A」コーナーでは私がヨーロッパ時代にオペラ劇場への就職活動に奮闘した顛末を書いているが、その中に出てくる大事な背景として「1975年」と「オールデンブルグという町」について少し説明しておこうと思います.興味を持たれましたらそちらの記事も読んで頂けたら幸いです.なお現在のオールデンブルグは以下のような長い歴史をしっかりと留めながらも、美しい文化都市として劇場や大学などで外国からも沢山の人が訪れる町になっています.
*)キャパ・サイト:http://www.capasite.jp/
*)「小林一男の就職編」:http://blog.livedoor.jp/kazuo_kobayashi_job/
「1975年」
この頃のヨーロッパでは、今となっては「巨匠」と呼ばれる素晴らしい音楽家たちが華々しく活躍していた。この年の夏のザルツブルグ音楽祭では、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のヴェルディの歌劇「ドン・カルロ」が上演され、エリザベッタ役の当時40歳のミレッラ・フレーニとフィリッポ二世役の当時46歳のニコライ・ギャウロフが注目の的だった。フレーニは若い頃リリコ・レッジェーロだったが、次第にリリコ・スピントに変わりつつあった頃で、まさに彼女の絶世期だった。秋にはニューヨーク・メトロポリタン歌劇場のヨーロッパ引っ越し公演が行われ、ヴェルディの歌劇「オテッロ」がハンブルグで上演された。指揮者はジェイムズ・レヴァイン、主役のオテッロはプラシド・ドミンゴ。当時リリコとしてのレパートリーで活躍していたドミンゴがこのようなドラマティックな役を歌うのは初めてで、ヨーロッパ中が注目した。その「オテッロ」はその翌年、スカラ座の1976〜77シーズンのオープニングとして上演され、オテッロ役にドミンゴ、ヤーゴ役にピエロ・カップッチッリ、デズデーモナ役にフレーニ、演出はフランコ・ゼッフィレッリ、指揮はカルロス・クライバーと錚々たる顔ぶれが活躍した。
「オールデンブルグの歴史」
オールデンブルグはドイツの北西部にある文化都市である。この都市は、古くはオールデンブルグ公国であり、1345年に都市になって以来、豪華な劇場やコンサートホール、聖ランベルトを祭った素晴らしい教会、オールデンブルグ大公の住居だった17世紀の城が自慢だ。街にはかつて馬の売買がさかんに行われていた「馬市場」と呼ばれる地区がある。1931年5月5日、この「馬市場」でナチスの集会が行われ、茶色のシャツ、茶色のネクタイ、茶色の乗馬ズボンを身につけ、膝まで届きそうな黒いブーツを履いたアドルフ・ヒットラーが演説をしている。32年5月29日、投票者の48・8%がナチスに投票し、オールデンブルグはドイツ国内で正統な選挙で選ばれた最初のナチス指導者をいただくことになった。そんな街で32年3月、ベルグの歌劇「ヴォツェック」がベルリン初演の後、当地の劇場にて上演された。当然、ナチスの文化批評家には認められない内容だった。
【以上は、2004年11月号の「モーストリー・クラシック」誌上に掲載された「At That Time」(小林一男編:1975年・オールデンブルグ)から部分的に転載させていただきました】
またその他に、
*)「交響曲・不滅」:http://www.tenorcup.jp/d2/d202.html#05
ナチスとオールデンブルグと音楽…これらを結びつける衝撃的な本に出会い自分の過去を見つめ直すきっかけになりました.その辺の事をこちらからお読み下さい.
*)オールデンブルグ国立劇場HP:http://www.oldenburg.staatstheater.de/start.htm
なんと私が在席した当時にオーケストラでコントラバスを弾いていた日本人の牧野さんがまだ在席して元気なのを知りました.オーケストラにはさらに日本人が増えて数えてみたら5人も.写真を見ると、牧野さんも太られたし、きっと住み心地が良いのだろう.さっそくあの時以来の連絡をとってみようかと思う.