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ブログ倉庫1(2005/4-2014/10)

8月始めの山中湖、平野地区は学生合宿のメッカである。八ヶ岳・清里の軟派系の学生達と違ってここは体育会系、テニス、サッカー、野球その他考えられる限りの体育会クラブの合宿で混みあっている。そんな状態なのに我々の世話になるペンション「シルバースプレー」さんは 20数名の我々のグループだけで貸切りにしてくれた。山中湖のペンションとしては決して大きい方ではないが、夏の一番のかき入れ時に詰め込めば我々の他にまだ10名位は泊まれそうである。
そんな願ってもない状況を作ってくれたオーナーに感謝しながら部屋に荷物を入れ、さっそく昼食。富士山を見ながら美味しいハヤシライスをいただいく。
小休憩の後は、2日間のマラソンレッスンの会場になるスタジオにみんなで移動する。実は3年生のバリトンの堀内クンの実家がこの近くで大きなペンションをやっていて、彼が1年生の時は合宿もそのペンション「ほりのや」さんにお世話になった。ただ我々のような2、30名の音楽の合宿をやるには、ほりのや常連の他の大きなスポーツ団体やブラスバンドなどとのギャップが大き過ぎてうまく共存できないので、次の年から堀内クンのお父さんが考えて下さり、こじんまりとした「シルバースプレー」さんを紹介してくれたのだ。でも我々の合宿の大きなポイントはほりのやさんの持っているこの練習会場であって、他に泊まりながらもここに通ってレッスンする。ここはある有名な写真家の方の撮影スタジオだったものをほりのやさんが買い取り多目的に使っているのだが、我々のようなステージを想定したオペラの練習には最適な広い空間で、最初の年に借りて以来毎年使わせてもらっている。国道から脇道に入り、凸凹道を砂埃を上げながら進み、小学生たちが大声を上げながらボールを追いかけているサッカーコートの横を抜けるとスタジオに着く。スタジオらしい搬入口の大きな鉄扉の前に車を並べて、その横の小さなドアからスリッパに穿き替えて中に入る。最初のレッスン組の生徒達が大声を上げて発声練習をしながらセッティングしている。優に二階家が入るほどの天井の高い空間が気持ちいい。リノリュームの床に素足で触れながら、みんなでたくさんある窓を全部開け放す。縦長のスタジオの奥を開け放すとそこはテラスになっていて、その先は緑の芝生で、これまた外光での撮影用なのか気持ちの良い洗練された空間が広がっている。芝生の回りは板塀と背丈ほどの木を並べて外界からの視線と音を遮断しているので、窓を開け放しても練習できるので快適なのだ。びっくりしたのは去年までちょっと古くて大変だったアップライトのピアノのかわりに、なんと今年はグランドピアノが入っていました。もうこれ以上無い条件になっていやが上にも練習に気合いが入ってくる.
さっそくの一番バッターは1年生の「フィガロの結婚」から。一年生はまだ声の適正というか、どういう声であるかというのがわからないので4人いるソプラノを2人づつにして、各々キャラクター、声の違う役を歌ってもらう。曲自身は簡単な曲なので、オペラというものを知るために、このオペラの台本を読んでもらい理解して、自分達で役柄やシトゥエーションを考えて動けるよう指示しておいた。教えることは山ほどあるのだが、一年生にはドラマ、セリフにあわせて動きながら歌うことをはじめて体験してもらいながらも、声で歌う歌の中ですべてを表現しなくてはならないという一番大事な事を教えてゆく。午後1時半からはじめた練習はこうやって一年生の簡単な二重唱組から上級生へ、さらにはOBを混ぜた大勢のアンサンブルへと基本的には休み無しで続く。出番の無い者達はスタジオ内のあちこちで好きな姿勢で聴講している。自分の課題の楽譜を眺めながら準備している者もいる。スタジオの入口から入った手前左に階段がありそこを昇るとガラス張りの小部屋があり、そこから下のスタジオ全体が俯瞰できる。東京芸大の大学院に進んだOBのバリトン・岡クンが好きな場所のようだ、そこから身を乗り出して猿の様な姿勢でずーっと練習を見ている。学生達は普段大学のレッスン室で先生と2人きりでの個人レッスンなので、あまり他の人がどんな声をしてどんな歌を歌うのか知らないので、こうやって仲間たちの歌を聞くと非常に刺激されお互いに頑張りだす。ましてや卒業したOB達がそれなりに大人の声でしっかり歌うのを聞くと、すぐ尊敬の眼差しに変わって目が輝いてくる。
今日、一日目のレッスンは最初、午後の3時間と夕食後の2時間という予定だったが、スタジオがどうしても夜使えないということで急遽変更して、午後のレッスンをそのまま7時半まで続けて、夕飯を遅くしてもらうことにした。
というわけで6時間のマラソンレッスンの最後は昨年卒業したOBのソプラノ・佳奈チャンのアリアのレッスンになった。彼女は明るい性格と人並外れた頑張りやさんでクラスの中心だったが、卒業にあたっては外国でのさらなる勉強環境を求めて、アメリカやニュージーランドなどに短期留学をしては自分の勉強場所を探していた。卒業以来歌は聞いていないので心配していたが、今回聞いて安心した。少し体が大きくなった分、学生時代より声が落ち着いて大人びてきて良くなっている。お父さんの会社を手伝いながらも歌のレッスンはしっかり受けていて、また近々留学も予定しているようだ。目標を持って頑張っている事が分かってうれしくなった。
長いレッスンが終わりみんなでペンションに帰る。遅くしてもらった夕食の準備が整っているのでさっそくみんなで待望の夕食。ここ「シルバースプレー」の食事はとても豪華で美味しく量も多いのが特徴で、大きなお肉にみんな目の色を変える。今日一日強行軍のスケジュールだったし、明日のレッスンもあるので、みんなアルコールも控えめにして部屋に戻る。いつもだとここから近くの温泉にみんなして繰り出すのだが、夕食が押したために今日は無理。さっとシャワーを浴びて、バタンキュー!

ここ何年か夏の合宿というと天気に恵まれず、大雨や、台風などにいつも遭遇してしまい、学生達を残念がらせていたが、今年は晴れた.2,3日前の天気図には沖縄の南に台風もあったが、それも中国大陸に向ってくれて、合宿に向う朝、車に乗る頃にはピーカンとなり、気温もうなぎ登りで今年一番の夏日になった.
8月5日は河口湖の湖上祭である.中央高速の大月インターのすぐ近く、大月市初狩町というのが僕の生まれた場所で、今でも実家があり93才のお母さんと2番目の兄家族が住んでいるが、それこそ子供の頃、毎年のようにこの時期になると、その実家から河口湖にいる親戚を訪ねては湖上祭に繰り出した思い出が残っている.その親戚では船を持っていて、夕方から繰り出し、涼しい舟の上から花火の上がるのを楽しむのが年中行事だったのだが、子供の僕にとっては、舟の揺れで気持ちが悪くなり、頭の上で轟く花火の爆発音が怖くて、お母さんにしがみついて泣きじゃくっていた記憶しか残っていない.
この河口湖の湖上祭の当日は高速道路も一日中渋滞が起こるので、それを避ける為、我々の合宿隊は朝7時前に出発.それぞれの集合地点から車4台に分乗して出発し、とりあえず八王子インターを入った地点で点呼.思っていたほどは渋滞していないようなので気楽な気分で一路、河口湖へ.スイスイと渋滞ゼロ状態で進み、河口湖に着いてみるとなんとまだ8時半である.
山中湖のペンションには12時頃到着予定であるから3時間を潰さなくてはいけない.我々のは音楽の合宿であるから雨だろうと台風だろうとインドアでレッスンは消化できるのだが、ここ何年かレッスンとレッスンの合間の遊びや、外でのレクレーションが悪天候で十分にできなかったので、今回はこの機会を逃さず、最初から予定変更して富士五湖巡りをすることにした.真っ青な空の下、窓を開け放した4台の車が連なっての快適なドライブで、お金のかかる風穴や氷穴は横目で見て通り過ぎ、樹海の中を抜けて静かな西湖の畔に.ここは僕の大好きな場所の一つ.静かな湖畔のカフェのテラスに陣取って、涼風を体中に受けながら、夏空と湖の青色とそれに挟まれた深い原始の緑色のキャンバスの上、湖上のウィンドサーフィンや釣り船の意外に緩慢な動きを目で追うだけの時間.下界を離れた時間の止まった世界がここにある.
親しい友人だった映画監督の相米慎二とつるんでよく富士山麓にゴルフに来た.ガンで亡くなる前の夏だったか、やはりそんなゴルフの後、いつも行く山の中の隠れ家のレストランには行かず、僕の思いつきでこの西湖畔に来てこのカフェのテラスを見つけてビールを飲んだ.今日は夕方東京で用事があるから…と朝から言っていた相米が急に携帯を取り出して夕方の用事をキャンセルしたのを思い出す.あの時の相米の眼鏡越しの視線、俗社会から完全に遮断された理想のロケーションを値踏みする映画監督の鋭い視線に混ざって、自分の生まれた故郷に戻ってきて喜んでいるような少年の目の輝きがあったのを妙に憶えている.その時以来、富士山麓でのゴルフの後はよくここに足を運んで、僕らは静かに時間を過ごした.相米が一番似合う場所だった.0そのカフェの前で全員で記念撮影をして、ずーっと西湖を一回り、一番奥のキャンプ場近くの畔で小休止.湖に流れ入る小さな川におたまじゃくしを見つけて、子供に混ざって取ろうとみんな頑張るがなかなかうまく行かない.そこは昔の少年に任せなさいと、すくい取って見せると学生達は目を丸くしてびっくりする.向こうの端では他の学生達が湖水に向って石を投げて「水切り」をしようとしているがうまくゆかない.先生できますか?というから、投げて水を切って見せると「すごい!」と大受け.僕らの年代には少年の頃の遊びの財産がまだたくさん残っているのがわかってなんか楽しい気分になってきた.
再びそこから車に乗ってそろそろと山中湖に向う.バイパスで向うと、富士急ハイランドの辺から浅間神社を越えて忍野の入り口付近までは渋滞がいつもあるので、ナビゲータとしては富士桜を抜けての近道を選択.鳴沢CCの下から入り、富士レイクサイドCCの横を抜け、5合目に行く富士スバルラインを横切って、浅間神社の裏を降りてきてバイパスに合流する.
山中湖で合宿する前にはこの浅間神社の横の森の中のペンション兼レストランで合宿し、富士レイクサイドCC横の素敵な八角形の別荘兼音楽ホールを借りてレッスンをしていた.今回参加のOBの中にはよく憶えている者もいて、車から乗り出して「ここ、ここ!」とかアピールしていた.
浅間神社からのバイパスも予想したほど渋滞してはいなくてスイスイと山中湖畔に.左回りで狭い湖畔の道を平野に向かい、11時過ぎには山中湖平野のペンション「シルバースプレー」に到着.現地集合の3名もすでに到着している.去年もおととしも見る事のできなかった富士山がペンションのテラスの向こうに大きく見えて、合宿・晴バージョンの始まりである.<続く>

毎年恒例の大学の教室の合宿は今年も山中湖で8月5日〜7日に行われる。
最初は自分の山小屋中心に小淵沢でやっていた時期もあったが、親しいペンションと歌の練習に最適なスタジオ風な別荘を見つけてその後は富士山麓の河口湖で何年かやっていた。
しかし3年前、大学に入学してきたばかりのバリトンの学生の実家が山中湖でペンションをやっている事がわかり渡りに船ということではないが、さっそくその年からテニスやサッカー、ブラスバンドなど大学の体育会系の合宿のメッカ、山中湖は平野のペンションで合宿するようになった。最初の年、ブラスバンドや、コーラス、オーケストラなども使っていてスタジオもあるということで勇んで出かけていったのだが、いやはや大学生の合宿というのは朝から夜遅くまで練習、練習ばかりなのだ。我々も大学生の合宿であるが、歌の練習や、オペラの練習では朝から夜までなどできないので午前と午後、それに夕方少しという練習をする。しかし練習と練習の合間や、食事時やその前後などもかまわずに、ペンションの内から外から、そこらじゅうから、ひっきりなしにブラスバンドの分奏や、コーラスのパート練習などの音の洪水には、耳の休まりる暇などなくまさに発狂しそうになってしまった。
それで次の年からその辺をお願いしてスケジュール調整してもらったり、泊まるところを分けてもらったりして、今では非常に快適な合宿ができる様になっている。
合宿では一人一人の歌を見ることもだが、それよりもこういう時しかできないので実際に演技を入れたオペラの場面を作り上げるのを大きなテーマにしてやっている。元は有名な写真家のスタジオだったピアノの入った広い空間が、幸い朝からずっと使えるので、そこでオペラのステージを想定して「愛の二重唱」や「決闘の3重唱」、「夜会の場面」や「惜別の場面」などを手取り足取りレッスンしている。
この合宿での成果がきっかけになって秋からの発表会や試験などに向かって急激に成長して行く学生が多く出る。学生達も上達する大切なチャンスだと思っていて7月に入る前から与えられた曲の練習に入り、合宿の直前まで各々チームを組んで歌に演技にと夢中になって勉強してくれる。
歌は難しい。直立の姿勢で、朗々と情感たっぷりに、感性豊かな表現をするのは、技術面だけでは教え切れない。極論すれば少しのしっかりした基礎のテクニックと、後はその人の人間的な成熟、成長を待つしかないという見方も出来る。ただ他の楽器などの演奏技術に比べて歌が大きなアドバンテージを持っているのは、歌だけには「言葉」が付いているという事だ。「具体的な意味のある」言葉が付いている楽器と言ったらいいだろうか。
本来だと声を楽器に作りあげてゆくという技術の繰りかえしが中心になる若い大学生の年代の音楽技術の修行は、今のような自由・多様化の時代ではほとんどががまん出来なくて正常な進歩が出来ずにどうかなってしまうのであるが、その言葉の持つ「具体的な」ものをオペラなどの中の具象的な動きやドラマを通して、感情を伴ったよりストレートな形で表現させようとすることで、一気に声を出す技術と、感情を表現すると言う感性が、劇的に何人かの学生の中で繋がってゆくのだ。今年も何人がそうやって目覚めて「歌い手」になってゆくのだろうか楽しみだ。
ピアノの横に座って一日6〜8時間位のマラソンレッスンの合間には、富士山ミニ登山、早朝ハイキング、バーベキュー、花火大会、魚釣りなどもやるのだから先生も大変なのだ。体力の8月!